私も、好きなこと「だけ」する生活を少しずつ始めてみました・・・やっと。
発端は、みくに、「しき自身が好きなことだけやってない。ご機嫌さんじゃない。
だから発信に説得力がないんじゃない?」と言われたこと。
(ちなみに、私たちリベレスタの活動VISIONは「人類みんな好きなことだけやって、世界平和。」なのです)
以前こちらの記事で、「原口さん自身が、人を癒したい人じゃなくて癒されたい人だから、やってることと言ってることに齟齬があるからだと思います」という匿名コメントを下さった方がいた。
その時、私は「うーん、そうかなぁ?」と思い、スターを付けるにとどめて返信もしなかった。が、おそらく、それがそのままどんぴしゃだったわけだ。
(匿名さん、今更になりますが、ありがとうございます!)
私は以前の私と比べたら、だいぶ癒されたし、変わったとは思う。
だけど・・・
自分でも、たしかにそうだと認めざるを得ない。
私はご機嫌さんじゃない状態で、いわば癒されていない状態・変わっていない状態で、過ごしているタイミングが結構ある。
「好きなこと」は、やっている。
「好きなことだけ」は、やっていない。
一番やりたい活動、リベレスタはやっている。
でも、やりたくないこともやっている。
たとえば、
ゴミ捨てめんどくさい
皿洗いめんどくさい
掃除もめんどくさい
毎日料理するのがめんどくさい
毎晩湯たんぽ用意するのがめんどくさい
(基本的に、料理も掃除も好きだけど、でも毎日・毎回だと疲れることもある)
でも、私はやっている
なぜか?
私がやらなければ、みくはやらないから。(彼女は好きなことしかしないから)
でも、私は埃だらけ、ゴミだらけの家に住みたくない。
だから、私がやっている。
みくもやってよ、とどこかで思いながら嫌々やっている時がある。
(完全に不機嫌さんである・・。笑)
でも、その話をみくに思いきってしてみたら、
それは単なる私からのコミュニケーション不足で、私がゴミ捨てが嫌な時があるなら、みくがゴミ捨てすることだってできるのだ、ということもわかった。
みくは好きなことしかやらない、
だから彼女が好きじゃないことは全部私がやらねばならない、という考えは
あまりに硬直的。
あまりに単純な話で、こうして書くのもあれだけど・・(笑)
つまり、やりたくないことは、やりたくないまま無理にやるのではなく、やりたいと思うような形でできるように工夫することが大事だということだ。
工夫すれば人に頼めることならそうすれば良いし、
工夫しても人に頼めないことならば、自分のやり方を「やりたい」「まあ、これならやろうかな」と思えるように工夫して、不機嫌さんじゃなくご機嫌さんで取り組む、ということが大事だ。
そういえば、初期仏教のスマナサーラ長老も「他に適任者がいなければ自分がもっとも適任者なので、それはあなたの仕事なのだ。」というようなことを書いていた。それはまったくもってその通りだな、と思う。
※ごめんなさい上記「」内は私の記憶で書きました。すでに手元にはないこの本に書かれていた内容です。
以下はAmazon書評コメントから引用。
生きるためにする行為は全て仕事である。食べること、子供を育てること、趣味を頑張ること、、全てが仕事なのだ。この内、”お金を稼ぐという仕事”に失敗したからと云って人生にとってたいしたことはない。(本文より)
仕事というのは生きているということそのものなのに、自分の仕事なのに、いやいややっているのは、なんてもったいないことだろう、と思った。
みくと、このことについて話をしていた時も、夕食前だったので、
ああもうすぐまた皿洗いをしなければ・・・と思っていた。
(皿洗いが嫌なので、つい、昼食の皿洗いを夕食前にしている)
嫌な気分で、でも我慢して皿洗いをやろうとしていた。
しかし、なぜ嫌なのか?
とその時は考えてみた。
これもあまりに単純な話になっちゃうけど、
「寒いから。」なのだった。
そして、
「服が皿洗いしにくいから。」という理由もあった。
だいぶプライベートな話になるけど(笑)
今年は冬用の部屋着を持っていなかった。
引っ越すタイミングの断捨離で捨ててしまったままだった。
夏用のパジャマの上に着る毛布を着ていたが、あったかいのはいいけど重いし、汚れると嫌だし、袖は下がってくるし、料理や皿洗いにはものすごくコンディションが悪かった。
そのままで頑張るか、着る毛布を脱いで寒い格好で洗ったり、別の適当な服に着替えたり、非常に面倒だった。
皿を洗いやすくするための工夫として服を調達する、ということを、思いつきもしなかった。なんとなく、まあなんとかなってるし、お金もあまり使いたくない、という思考になっていて、今あるものでなんとかしのぐという行動になってしまっていた。
しかし本当はそれで不機嫌さんでいるのは最も避けたいことなのだ。お金のことより、何より、心の状態がもっとも大事なことなのだ。
リベレスタメンバーとして、
我慢せずに好きなことだけして、ご機嫌さんでいようね!
と人に言っておきながら、自分は実践していなかったのだ。
早く服を買った方が良いのだ。買った方がよかったのだ。
過去のことをいっても仕方ない。
みくに「じゃあ、しまむらに買いにいく?」と言われ、
しぶしぶ、「うん・・。行く。」と答えた。
なぜ、しぶしぶなのか?
それは、「今まで我慢してきたのに!!!」という気持ちにほかならない。
我慢。それは不機嫌さんの温床。
ほっとくと、私の中に本格的に住み着き、増殖してしまう。
不機嫌さんが私と同化してしまう。
不機嫌さんが嫌なことは、私が嫌なこと、になってしまう。
だから、しまむらに行って服を買うために車に乗った時、
自分の巣穴を暴かれるような気分になった。
しまむらに到着。
すごくたくさんの服がある。
いざ店内を見てみると、私がすごく欲しかったものがあった。
着るものについて、うさとの服(天然麻・綿・シルクのナチュラル志向ブランド)とオーガニックコットンの服しかきないぞ、という気持ちが前に出てきていて、自分が心地よく過ごす工夫をしたくない、という気持ちがたぶんどこかにあった。
あたたかい部屋着を用意する、ということを、この冬数ヶ月間まるで思いつきもしなかったということに自分でも驚く。
結果、もっとも安かった1500円の上下セットはやめて、トップス1500円、ボトムス1500円、合計3000円であたたかい部屋着を揃えた。
これを着れるのだと思うとすごく嬉しく思うと同時に、
嬉しくない気持ちもまたどこからか湧いてきた。
例の、今まで我慢したのに、という気持ちに加えて・・・
これは児童労働の結果の服であり、化学物質たっぷりの服であり、非常に良くないものを消費者として買ってしまった。買い物は投票なのに・・という気持ちが湧いてきた。
恐ろしいことに、どこまでも私がご機嫌さんになることを阻止してくる。私をご機嫌さんにするものか、と思う何かが何かと理屈をつけてくるのだ。
その甘い誘いには要注意。
その服がいいものか、悪いものか、ではなくて、
その時の私の心の状態が何より大事なのだ。
良い(と言われる・思う)服を着て不機嫌さんでいるよりも、
悪い(と言われる・思う)服を着てご機嫌さんでいるほうがずっと良いのだ。
すべて、外じゃなく、内の話なのだ。
しまむらから帰る車で、
「そんなにしきって不機嫌さんかなあ!?」とみくに問いかけた。
「しきは普通の人だよ。しきより不機嫌さんもたくさんいるし、しきよりご機嫌さんもいる。 でも、そういうふうに思うということは、図星だってこと。ご機嫌さんではない、ってことだよ。なぜなら・・・ご機嫌さんはそんなこと気にならないから。」と、みく。
「しきは、みくもその存在もいるし、安心してプラクティスしていけばいいと思うよ。」
ありがとう。
私も、少しずつ、意識的に、
自分の不機嫌さん状態をご機嫌さんに変えていこうと思う。
あー苦しい。けどまあ、楽しい。M的な意味で。(笑)
好きなこと「だけ」するのってこんなに修行なんだね。
初めてわかったよ。
いや、ちがうな、初めてじゃない。
前にもあった。私はどこかをループしている。
その話はまた後ほど。。
そしてこんな私が紹介するのもアレですが(笑)
リベレスタでこんなセミナー始めました。
・ぶっとびセミナー
LIBERESTA seminar basic on Strikingly
ぶっとび系で、もっとぶっとびたい(突き抜けたい)
主に個人事業主や人生の転機のタイミングな方へ贈る企画です。
本当の本当に好きなこと「だけ」やれるってほんとなの?
やろうとしてるけど、やっぱりできない。そんな方にもオススメです。
近い予定としては、2月9日・24日開催予定。
私も一緒に学ぶ、というスタンスでスタッフやります。^^
マハロ!
しきたん / 原口色(Shiki Haraguchi)
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