現象④ 努力もせずに楽してる人ってずるい。許せない。
できるけどできない現象、その④努力もせずに楽してる人ってずるい。許せない。について。
●なぜ、仕事もせずに楽してる人を「ずるい」そして「許せない」と思うのか?
(「ずるい」とは、「自分の利益などを得るために要領よくふるまう様子」)
それは、「努力もせずに楽」なんてしちゃいけない!!!と自分に禁じているから。
禁じていることを破る人を許せないと思うのは当然のことで。
なんで自分が禁じていることを破る人を許さないといけないんだろう。
たとえば、校則で金髪が禁じられているのに金髪にしてきてまったく怒られない子がいたら、ずるい、それが許されるのなら私もやるのに、と思うだろう。
(全員が全員金髪にしたいわけじゃないと思うけど、、私なら思う)
本当は自分もやりたいのにやっていないことを、他人がやっていると「ずるい」と思う。
つまり「 努力もせずに楽してる人ってずるい。許せない。」と思う人が本当は自分も努力もせずに楽したい。でもやらないようにしている。という状況は明らかだ。
でも本当に努力せずに楽するのってやっちゃいけないことなんだろうか?
むしろ、努力せずに楽できたほうがいいんじゃないだろうか。
無理に努力なんてしなくても・・・・。
別に努力しないといけない、と校則や法律で決まっているわけでもない。
ていうか努力しないでさらっとできることの方をやった方が効率良いんじゃないだろうか? 近道だよね? 楽すればいいじゃん。
でも、それは許されないと思っているとどうしてもできないし、そんなことをやろうとするとどうしようもない嫌悪感があったりする。
・・・・ある意味、誰かを「ずるい」とか「許せない」とか「嫌いだ」とかいう否定的な感情を抱いたときはチャンスだと思う。
自分が禁じてきたこと=自分のポテンシャルの発見。
禁じてきたこと(タブー)を破れたら、思いもよらないブレイクスルーができる可能性が高い。
だとしたら、自分が嫌だと感じる人は、自分のタブーを体現してくれている、むしろありがたい人なわけで。
その人の嫌なポイントを書き出して、自分に許可していくことで、自分が決めた自分のフレームはもっと柔軟に変わっていくはずなわけで・・・
そう思うと、どうしようもない嫌悪感のあるタブーを許可する価値もあるのかもしれないって思えたりもする。
たとえば、この(超長くなってしまった)私の友人の話の例で考えると、もっと楽することを自分に許可することさえできたら、無理な締切を自分に課す必要もないし、仕事も抱え込まなくて済む。
まだ本人も知らない”楽したくないから”塞いでいた才能が開花する可能性だってある。
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しきたん / 原口色(Shiki Haraguchi)
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