しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

さよなら、パパ、ママ。ザーサイ割り勘事件の巻

約半年前の書きかけだった文章を記事化しました。

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親のことを考えると脳内で裁かれまくるのがよく分かる、全身の緊張と血圧の低下(?)で肩と首筋が凝って仕方ない。しかしこれだけは書いておかねば私の気がすまない。。題して、ザーサイ割り勘事件である。

 

 

この日は父の退職祝い&母の誕生日祝いということで私と妹と4人で中華街で食事をしてきた。前半は和やかに進んだ。後半は私が頭おかしい、どうかしている、考え直したほうがいい、という話になった。

「頭がおかしい」という指摘は、ひとえにやりたいことをやるばかりで金をまともに稼ごうとしない、親に頼ってばかりいる、お金をちゃんと稼がずにやりたいことをやりたいだなんて何かに洗脳されてしまったのではないか、ということなのだ。なぜやりたいことに突き進むとお金を得られない、ということになるんだろうか。本当にやりたいことをやってこそ、お金も入ってくると私は思っている。

 

この会合の数ヶ月前に、私がどうしても独立を応援してほしいと親に頼みこんで私は両親からの生前贈与の振込の前倒しを繰り上げてもらい、さらにこれは頼んだわけではないが30歳のお祝いとして30万円プレゼントいただきありがたく受け取った。その時はなんと気前が良いことだ!そして応援してくれてありがとう!と私も素直に喜んだ。本当に嬉しかった。父が私を認めてくれたと思ったからだと思う。

 

しかしそれはぬか喜びに終わった。父は、なんとか頑張れよ、しばらく支援してあげるとその時言ってくれたはずなんだけど・・・その後、あの時の応援は嘘のように、アルバイトでもなんでもして生計たてないとダメだよ、ちゃんと働いてる?親が死んだら生きていけないよ?どうするんだ?睡眠時間6時間以外働いてみてそれでも足りなければ貸してやる、という論調に変わっていた。

 

私の実家は人並み以上には裕福だ。父は一部上場企業の社長になり、その上に上り詰めた人物。中高時代は彼が出世するたびに祝電や胡蝶蘭が届き、その後も毎朝うちには父を迎えにくる黒光りする車がとまっていた。その恩恵に預かって、私は私立の中高一貫校、および私立大学へ進んだ。その後私は新卒で大手企業へ入社、父レベルまではいかずともなんらかの功績を立てたいと思っていたものの、やはり父とは別の人間だった。何度か転職し、退職し、そのうちに自分の本当にやりたいことを追求するようになっていった。

 

父は「あなたにお金を渡したことが私の人生を不幸にしていたら申し訳ない」となぜか反省をしていた。この意味はね、笑うなかれ、”パパのお金の価値をわからず湯水のように使い果たし、私が道を外れてしまうきっかけになってしまっていたらごめん”ということなのだ。

いやいや、自分の幸せ不幸せは自分でわかるし、今ぜんぜん不幸じゃないしこれから不幸になるって誰が決めたんだ?絶対に伝わらないとわかっている相手にこんなことを言うのは、はっきり言って私の真心をドブに捨ててるようなものだってわかってるけど、一応言ってあげた。「それじゃ、人生は最期にならないと幸せだったかどうかわからないことになってしまうよね。少なくとも今楽しく暮らしていて、お金をくれたパパにはすごく感謝してるよ。ありがとう」

   

使うならその分稼がないとならない。パパはそう思って、たくさん働いてきたんだね。しかし私にはその理屈は通じないぞ、と思った。もらったお金も、のんびりした時間も私の血となり肉となり、我慢して働かないと生きられない体から、やりたいことをやって楽しくいきる体に完全変態している最中なのだ、今は。

 

  

私はこの人たちと一緒にいたくない。別世界の住人なのだ。離れよう。 

前から思ってるつもりだったけど、昨日は腹からそれを感じた。激情はなくて、冷静。静かにそっと離れる。というのがぴったりの気持ち。もしまだ何か絡んできたら、そんなに私を説得しようとか、理解してほしいと思っているのなら、私を「常識から非常識へと洗脳」した本たちを紹介してあげよう。

 

でもね、きっと紹介しても買わないと思う。私への説得(?)はその程度のことなんだ。本気で私を変えようとしているのではない。本人の不安感や支配欲から絡みついてきているだけなのだ。だから別の絡みつき対象があったらそちらへ移る。それだけのことなのだ。もう笑っちゃう感じで・・・怒りも湧いてこない(笑)

 

いや、本当はすごく悲しい。でもこの人たちから愛されることや、一緒に心からわかり合って、笑いあって一体感を感じるとか、そういうことは諦めないと自分の人生は始められない。その事実だけは厳然と存在している。受け入れるかどうかは当人の自由だけど、私はもうこれ以上自分を犠牲にできない。何が何でもその事実を受け入れたい。

 

 

自分の子どもも、意志や感情を持つ一人の人間なんだということが、いつの日か分かるのだろうか。

この日はお祝い事の席だったので、海岸で拾い集めた貝とか流木のかけらとかシーグラスで机に置けるかざりとネックレスを作ってそれぞれプレゼントした。

これは私にとってはいい出来で、貝のパーツも持っている中でもっとも素晴らしいものを研磨してワックスかけて作ったんだけど、二人とも、ありがとう の一言もなかった。ああ、はい、へ〜、こんなの作ったの。。みたいなね。

 

照れ隠しだったのかもしれないけど。それを差し引いても。。どちらかというと、つまらないものだというメッセージが伝わってきた。どうなんだろうそれって。今までの私よりは、喜んでもらいたい感謝してもらいたい気持ちが少なくて、どっちかというと作るのが楽しくて勝手にのめり込んで作りたいから作ったって感じだったけど、それでも、ショックだったかな。。

 

お金はかかってないけど、子どもが楽しんで集めて、楽しんで作ってた宝物をもらって、(子どもが、っていってももう30歳だけどw)こんなにそっけない反応をするんだな。このお店の会計、全部ギフトカードで済んでラッキーだったわね。合計金額思ったより安くてラッキーだったわね。そのときの方がよっぽど嬉しそうだ。  

やっぱり大事なものが何なのか、わからなくなっちゃってるんだね。

 

 

私はお金の引力から自由になりたい

私はママをかわいそうだと思っている。かわいそうなんかじゃない、と思ったこともあるけど、やっぱりかわいそうだと思ってしまう。ママは本当はとっても自由で純粋で素直な人だ。でもだからこそ、支配されてしまっていて、そのことに気づかない。

 

ママは常にお金を気にしている。一つ一つのメニューから、お支払いから、私の家賃更新料から、お土産のザーサイの値段まで。数百円のザーサイ、150円ずつ割り勘にしよ、って言われた時にはマジでびっくりしたよ(笑)

 

これだけきつくお金に縛られてたらそりゃ息苦しいよね。10円の損で気分が左右されている状態とお金がなくたって大丈夫さ、と思っている状態と。これはもう全然違う心持ちだろう。。。私もママにお金のことを言われるたびに地面に引き戻される感じがする。 もう会話が全てお金の問題、お金がなくなったら大変、お金が途絶えたら死んでしまう、という恐怖に集約してしまう。これではもう、何も始められない。自分の人生も何もあったもんじゃない。ママが恐れていたこと、本当は渇望していたことを私が実際にやっているからママがこんなに恐怖しているんだろうと思っておく。

 

もう私から言葉でママに伝えられることは何もない。私が何か伝えられることがもしあるとしたら、言葉じゃなくて、私自身のあり方、生き様でしかない。私のあり方がいつか根本的に変われば、そしてママに何かが伝わるタイミングがもしあったら、その時に伝わればいいね。 ママがきっと本来持っている自由を追い求める気持ちは私に受け継がれたんじゃないかって思うくらい、私は共通のものを感じてるんだよ。

 

 

残念だけど、さよなら、パパ、ママ。

もう私は同じ世界にはいられない。

 

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この事件の半年後(つまりこれを書いている今)のエピソードも書きました

studio-pikake.hatenablog.com

 

 

☆☆☆ 今後のイベントスケジュール ☆☆☆

・Liberesta Open Interview vol.1 
母になった私が自由に生きる、あたらしい仕事の作り方
〜くらしをテーマに活躍中の2人のフリーランスママに
こっそり秘密を聞いちゃう 参加型トークライブ〜
 
10/5(水)13:00-15:30 @東京・新中野/中野 
(残席 4名・定員16名) 
詳細、お申し込み→http://openinterview.strikingly.com/
 
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10/22(土)東京・四谷三丁目(残席4・定員6)
10/29(土)名古屋・小本駅(残席10・定員12)

詳細、お申し込み→http://kokoro-tsunagu.strikingly.com/