しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

碧色の波の向こうへ消えていく

近くの海岸に棲息する猫たちに、仔猫が5匹生まれたという。海岸そばの高架下に貼り出された手書きのお知らせで知ったものの、うちではその仔猫は引き取れない、引き取ったとしてもこの海の猫たちはなかなかの長毛の持ち主、私はもともと猫アレルギーなのだから、そもそも一緒に暮らせないだろう....飼い主さん見つかるといいね、と心の内で思うに止めていた。 

 今朝久々に海に行ったら、5匹が4匹に訂正されていた。なんと、まだ1匹しか貰い手がついていないのか...。

若干のショックを覚えながら、ぼんやりと、長毛種でも一緒に暮らして暮らせないことはないのだろうな、、、とその毛の長い猫と私がそれなりに楽しく暮らしているパラレルワールドに一瞬触れた気がした。

だからと言って、その猫を引き取ろうという気になった訳でもなく、そしてインターネットで猫の居場所情報を流すと猫を虐待する人が狙うリスクがあるらしく、ここに載せることも控えるのですが、高架下から砂利浜へ歩いていくうちに、心に静かに流れるなにものかを感知したのでここに書いておきます。

 

結局は、何がどうなっても大丈夫。

たとえ毛足の長い猫がうちに来ても、それはそれなりに大丈夫なのである。そのうち体も慣れるかもしれない、アレルギーは出ても楽しく世話するのかもしれない、あるいは早いうちに誰かに譲るのかもしれない。

ここ数ヶ月ほど、ずっと引っ越し先(移転先)を求め、定まらず、幾通りいや何十通りもの不確かな未来を掴みかけては手放し、最初のうちは楽しかった妄想も、もうワクワクするどころではなくなり、もう何が何でも、今あるべストを今度こそ獲得してやらねばと頑張っていた。

(今も頑張っている途中。。ほぼ確まで来ました。100%確実になったらブログにも書きたいと思います)

あの時の流れで、あの町に住んでいたら。これがうまくいってあの家で暮らしていたら。あのプランのまま進んでいたら、今いったいどうしていただろう?なんて、もうとっくに砂埃にまみれて消えたパラレルワールドに執着したり、それと現状を比較して嘆いたり。

 

しかし、究極、私たちに何かを”選ぶ”ということはできないのではあるまいか。選んでいる気で、選ばされている。そして、どれを選ばされて、選んでも、結局は、なにがどうなっても大丈夫なのだ。と言われてしまうとどこか拍子抜けというかなんやねん!と突っ込みたくなるような気も、していたのだけど。でも、きっとどの町へ行っても、どの家に住んでも、どんな仕事をしていても、結局は大丈夫。仮に、いわゆる不幸と呼ばれるような何かが起こっても、たとえば逮捕されるようなことがあったとしても、結局は大丈夫。

 

善悪の彼岸

なぜなら、その理由は簡単で、大丈夫ではない事態というものがない。死んだら大丈夫じゃない、になるだろうか? なると思ってはいたけれども、しかし本人が死んだら死んだでそのことについて本人はどうこう言うだろうか、言えるのだろうか。もちろん言えない。そこにまつわる他人の悲しみ、残念な気持ち、それについても良いものとも悪いものとも言えない。だから、その人の死は大丈夫か大丈夫じゃないかと言われると、それも大丈夫の範囲内に入ってしまう。今私が感じていることを素直に書くとすれば。

 

日々意思をもって選択しているし、自分なりのベストを尽くしている。それは確かにそうなのだが...

”自分の人生これでよかったのか?”という疑問文は、意味を持たないのだろう。

私たちは何かを判断できる身分ではない。その客観的スタンスはいったいどこから来た?お前は何様なのだ?(その選択、人生が)良い悪いと判断することは誰にもできない、判断しようがないじゃないか。じゃあ、結局何がどうなっても大丈夫なんじゃないか。と、心は語りかけてくる。 

もし人生について何かコメントしたいと思っても、

”これが自分の人生なのだ。”

正確に語る言葉としてはこれしかない。良いとか悪いとかゴタゴタ言及している場合じゃない。今まさに直面しているトラブルやら、幸運やら、暇、やらに、体当たり。ただそれだけしかできない。

となれば、私たちはより快適に生きることを狙うとするならば、結局は、何をどう選ぶで何にお金や時間や体力をを使うかよりも、なにはともあれ平穏な精神状態でいるということが一番なのではあるまいか、と思ったのです。

 

意識は騙して(?)寝かしつける

”心に聞く”ってやつで、過去について尋ねることがある。未来についてもある。過去こんなことがあったのは、なぜか。未来、何を選んだら良いのか。極論、そんなのさあ、今大丈夫なんだから大丈夫じゃねーか♪ 何選んだって大丈夫なんだから自信持って行こー♡ って感じなんではなかろうか。。。

いやいやそう言われましても....(汗)というのが普通の意識状態の反応だと思う。そこで、心に聞く意味っていうのがでてくるんじゃなかろうか。ウダウダ考えてしまう意識に対して、なんだかんだと自分にとっての正当化や理由づけを無理のない範囲で行い、意識を騙して(?)寝かしつけちゃう、そんなとこだろうか。あらためて、平穏な精神状態に一役買ってくれているのだな、と思うのです。 

参考:心に聞く

 

朝の海、碧い波

早朝、釣り人の皆さんがずらっと並ぶ海岸で、そんな混雑とは知らずにノコノコでてきて石を拾う私の横から、すっとパドリングを始めた方がいらっしゃいました。(つい後ろから盗撮しました、ごめんなさい。)波に乗って、あっという間に波の向こうへ消えていく。ほんの数秒のできごと。もしかすると、海に漕ぎ出でるのも、そんなに怖くないのかもしれない。

  

https://www.instagram.com/p/BVM2H8dl8kQ/

波に乗って進む人#海 #波 #青 #碧 #後ろ姿お借りしました🙏

 

https://www.instagram.com/p/BVM1WptFVzM/

朝の海。碧い波。#フィルター越しの私の世界 #波打際 #波 #碧色 #エメラルドグリーン #bluegreen #湘南 #二宮町 #梅沢海岸 #日曜早朝 #釣り人いっぱい #ビーチコーミング

 

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