しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

LGBT差別について(後編)当事者は「弱者」なんかじゃない

先日、差別する側について書きました。

studio-pikake.hatenablog.com 

 

何か書き足りない気がしてモヤモヤしてたところ、Facebookで流れてきた為末さんの記事を読んで大変スッキリしたので、ご紹介。

president.jp 

僕は人を攻撃する人は人から注意されたり懲らしめられたりしなくても、すでに罰を受けていると思うのです。限られた貴重な時間を、呪詛の言葉を吐くという何も生まない行為に使わずにはいられないということ自体が懲罰のようなものです。珈琲でも飲んでのんびりすごせる時間に、わざわざ副作用のあるようなことをしているわけですから。

 (中略)

心無い言葉を耳にすると、殺伐とした気持ちになったりもしますが、それはその言葉を使う人自身の苦しさや悲しみのあらわれなんだというふうに考えてみると、感じ方が変わるかもしれません。

 

そうそう。ほんと、誰の得にもならない。人への攻撃って。(ちなみに差別もいわゆる人への攻撃の一つだと思う)それでもやってしまうのには理由があるわけで。その行動自体が懲罰であり、すでに苦しみの中にいる。さらに罰して禁止するというよりも、もっとケアをするほうが本質的。(そのケアを本人が受け入れてくれるかどうかはまた別問題ですが。)

 

 ーーー

 

以下、差別される側つまり「当事者」と呼ばれる人について。 

 

 

 

自分が不安でいる限り、どれだけ周りに配慮されても安心できない

当事者としては、いくら社会的に禁止されていても怖いものは怖いよ、という感情があると思う。

自分がLGBTだとばれたら他人にどう思われるか分からない。差別されたらどうしよう。仲間外れにされたらどうしよう。キモいと思われたら、今までの人間関係が変わってしまったら、どうしよう。昇進に響いたらどうしよう。商談に影響あったらどうしよう。賃貸借りれなくなったらどうしよう。お金借りれなくなったらどうしよう。変な噂が立ったらどうしよう....と、無限の不安が存在する。

 

で、外側から無限の不安に一つ一つ手を打っていこうとすると、無限の配慮が必要になってくる。

 

実際LGBT当事者コミュニティの中では、無限の配慮がされている。ホモじゃなくてゲイと言おう。レズではなくてビアン(あるいはレズビアン)。イベントでは「HN(ハンドルネーム)でも大丈夫(本名隠したい人のために)」のが定石。 LでもGでもBでもTでもないもいるから彼らの存在を無視しないようにLGBTsと呼ぼう、LGBTQと呼ぼう。(女でも男でもないインターセクシャルの方や、心の性別が定まらない・定めたくないクエスチョニングという方がいます)FTM(女性生まれだが心が男性)で男性が好きな人(FTMゲイ)がいることを忘れずに。同様にMTFビアンもいることを忘れずに。・・・ほか、いろんな人がいるから、誰の尊厳も取りこぼさないようにしよう、みたいな。

 

でもそこまでしても、絶対誰かしらは取りこぼしてるんだよね。「あ、私はこの場所に歓迎されてないのかもしれない」と思う人、人によっては「傷つく人」をゼロにすることはできない。

 

今、LGBTを「認める 」的な動きが盛んだけどいくら社会が変わっていっても、人々が啓蒙されていっても、自分が不安だと思っている限り不安は残るし、「わかってない人」に何か言われると「ああやっぱりそういう風に思ってるんだ・・・」と傷つくこともある。もし本当に傷つくのが嫌だったら、自分が変わるしかないのだと思う。

 

 

自分の価値は自分で勝手に決めていい

今でこそ私は完全フルオープンでセクシャリティについて何も隠さず暮らしていて、何も困ることは起きていない。

 

しかしながら昔は見えない敵に怯えて職場ではカミングアウトしないで心を閉ざしていた派で、その時は「どう思われるか」で自分の価値や評価を100%決めてしまっていたから、どう思われるかわからない中でとても人には言える話じゃなかった。

その頃の自分にもし会えたら、100%自分で決めろとまでは言わなくとも、70%くらいは自分で自分の価値を決めてあげてもいいんじゃなかろうか、と思う。

 

 

弱者意識、被害者意識を一刻も早く捨てること

 どう思われても、どんな扱いをされても傷つかない。むしろやり返せる。この状態になれたら勝ちだと思う。万人におすすめするものじゃないし、差別で殺されることまでは滅多にない日本だから言えることでもあるし、何言われても傷つかないでいようというのは言い過ぎ感もあるし、私もそこまでは無理だけど。でも究極そういうことだと思っている。

 

 

何を言われても堂々としていればいい。回答は私の主観で書いてみました。

LGBTは子ども産まないから勝手だ、少子化に拍車をかける」

→あなたはそう思うんですね。それは比例しないと私は思います。

 

「ゲイってテレビの中にいるのはいいけど、友達としては勘弁」

→そんなことを思ってる人とお付き合いするのはこっちこそ勘弁。(サッ と去る)

 

「同性愛って気持ち悪い」

→そうですか。あなたはそう思うんですね。私は思いません。

 

 

 アドバイスとかいらぬ配慮で弱者扱いしてくる人にも要注意。ああ、私って被害者なんだ、弱者なんだ、って刷り込んでくるので。

LGBTだと職場で苦労してるんじゃないの?かわいそうに・・・」←これは私の母の台詞(笑

 →そんなことありません〜♪

 

「いろいろ、大変ね・・・」

→今、全然大変じゃないです。会社に行っていた時もフルオープンにしてたけど、何も困らなかった。唯一困っていた、賃貸入居できなかった問題。以前は私1名で借りてそこに内緒で彼女が住んでるという形だったけど、先日の引越し時は、不動産担当者には私たちの関係は話した上で、何も問われることなく普通に赤の他人同士の関係性で入居できてしまった・・・!

 

私が周りの人に恵まれてラッキーな点も多々あるけど、とにかく実際全然困っていない。実際、被害者意識や弱者意識を感じるポイントはないです。

 

 

 

問題があるとしたら「LGBTであること」ではなく、自分への信頼が低いこと

LGBTかどうかということで見方が変わるような人とはそもそも関わらなければいい。相手に合わせようとせず、自分を信頼して、堂々と、ありたい自分でいればいい。むしろ結果的に相手の見方は変わってくる。

 

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http://filipe-ps.deviantart.com/art/Bokeh-Dreamscene-116262695

 

一人一人が個性のかたまりなだけであって「弱者」なんかじゃない。怖がる必要は全くない。守られる必要も本当はない。人は一人一人違って当たり前の中でたまたま特徴的な個性が際立っただけ。差別する理由は相手の中にあるのであって、差別(攻撃)を受ける人には何もない。たとえ差別する人が現れても、その言葉で傷ついてあげることなんて全っ然ないんだよ!

 

 

 

マハロ〜!

 

 

 

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