ミンナチガッテミンナダメ 私の中の二重人格性について
"虫"と呼んでいる人格がある
この人格にはまってしまうともうどうしようもなくなってしまう
意思もなく、もうダメでいることしかできない
主に布団に棲息し、体は伸ばせず、丸まって地面に這っているのが基本姿勢。
先日日雇いバイトの説明会に参加したことが久々に"虫"を発動させた直接のきっかけだった。
バイトもできない
ちなみに試飲・試食のデモンストレーション販売の仕事。大学生時代にやったことあった&給料も良い。雇い主の派遣会社のアルバイトの扱いがかなりひどくていろいろと大変だったけど、まあ楽しめるんじゃないかな。単発だし。
こんなに清々しい気持ちでバイトのことを考えたのは久しぶりだった。今までの私には(好きなことじゃない)バイトしたら負けだみたいな考えが、やっぱりどこかにあったように思う。だがしかし今回は、自分の募集している企画・ワークショップにも応募がなくて暇だし今お金必要だからバイトしよう、と、特に感情の波もなく思い立って申し込んだのだった。バイトする自分も良いじゃん、と思えているのはフラットな感じでいいな、と思っていた。
説明会会場(事務所)につくなり、嫌な予感がした。担当者の方がかなり不健康そうな人で、気のせいかもしれないけど事務所全体の空気が淀んで見えた。それでも大学生時代に経験した派遣会社よりはここの方がマシだ。。。しかし説明を聞いていくにつれ、ロールプレイングの声出し練習するにつれ、拒否感は高まっていく。ああそうだ、こういう仕事だったな。天上世界にいるメーカーから諸々代理店を通じてどんどん落とされていった案件を地下で最後に受け取るのがマネキン(デモンストレーター)なのだった。文字通りこの案件の底辺であり、どんなことがあっても、できなくても、とにかく頑張ることが最も重要な仕事だ。と、説明会でも強調された。まあどんな仕事でも電通以下であれば全部そうだといえばそうなのだけどね。。。
こんなに大きな声をずっと出し続けるのか、そういえば前やったとき暇な時辛かったな、「私頑張ってやってますよ!」ってスーパーの定員の皆さんへアピールする為にお客さんが本当にいなくてもずーっと声出しが必要なのだったな。。我慢慣れしてればたいしたことないんだけど、今全然我慢してないからこういう業界的には当然のことにめっちゃ違和感が湧いてしまう。
もちろん楽しいこともある。お客さんと楽しく話せる、買ってくれる、工夫もできる、笑顔で積極的に売る楽しさもなんとなく覚えている。だから、きっとまたできるだろうと思っていた。
必要な道具・服を買い揃えて帰る電車ではもうかなり違和感があったものの、家でパートナーに「行かなくてもいいんだよ」と言われて、そうか行かなくてもいいのかと初めて思え、検討した結果断りの電話を入れた。
しかし・・・
それでもスッキリはしない。やっぱり私は暇だから楽しい気持ちでバイトに応募したつもりが、やっぱり家賃のためだった。嫌でもやらねばならない、にどこからか変わってしまっていたのだった。(ホントは変わったのではなくて、もともとあったものが露呈しただけ)
私はどちらも選べない
依然として家賃その他支払いのことがまだ不安である。
だから他のバイトに応募したいと思ったりする。
どちらかにしなければならない。
1、覚悟は決めずにちょっと我慢して普通にお金を稼ぐ(バイト、就職など)
2、覚悟を決めて好きなことをする
結局、私はどちらもできない。
普通に我慢して働くのもいやし、好きなことする覚悟も決まらない。
ちょっと我慢して頑張ればできるはずのアルバイトを引き受けることもできない。覚悟が決まっていないから、これだと思うプロジェクトを開始できてもそこに全力を注ぎこめない。まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態。
私には生きる価値はない
こころよカウンセラーのパートナーが、
もしかして、しきって「自分なんて生きる価値はない」って思ってる?
と私に聞いた。
え、そうかな!? と思って心にきく。
たしかに
"虫"の私は、自分なんて生きる価値もないと思っている。
もう一方では、自分にはとても価値があって素晴らしいのだと思っている。
このもう一方の自分がアクセルだ。”虫”がブレーキ。
このアクセルは何?と心に聞いてみると
「龍のようなもの」とビジョンが返される。
やっぱりこれが「意識」なのか。
天の高みから地の底にいる私を引っ張り上げようとしてくる(してくれる)。
私の主人格は、実は”虫”の方だ。
催眠状態でかりそめの姿、暗示が解ければ(本来の自分に戻ったら)
変わると思っていた超ダメ人間状態こそが本来の自分。
ダメ人間にさせてくれない、
龍のような、ちゃんとした、力強い、明るい自分がいる。
"虫"として生きるにはどうしたらいい?
ー張り倒す
何を?
ーこの世の全てを。
そうか。。なんか、めっちゃ大変そうだなそれ。
ミンナチガッテミンナダメ
東京ゲゲゲイのグッズに
ミンナチガッテミンナダメ
と書いてあるロンTがあるのだけど(もう売り切れてる。。)
私が東京ゲゲゲイに感じた最大のシンパシーはここかもしれない
私の中の”虫”的な部分が共鳴したからかもしれない
画像:http://tokyogegegay.com/gegeshop.html
みんな「良い」必要なんてない
どうせダメなんだ
ダメでいい
「おれたちゲゲゲイ」から感じる、人外の生き物感。
それでも生きてる、地下を這いつくばりながら生きてる、
どこまでも染まらないそのままの自分に誇りを持っている、という感じ。
ダメすぎる”虫”を肯定された気がして、強烈に響いたのだと思う。
私は、高校時代、大学なんていけないと思ってたし、社会にも出れないと思っていた。引きこもり、ニート、果てはホームレスになっちゃうんじゃないかという恐れがあった。が、私は受験を頑張って、結果的に見事慶應義塾大学に合格。やればできるじゃん!という天の高みに引っぱられ有頂天。虫のままでいることは許されなかった。
このような、
本来の自分と、これが自分と思う像が一致しない、受け入れられない状態を
「自己一致、自己受容ができていない」というらしい。
"虫"を肯定してしまった今、
私は何をしたいのかわからない
いや、わかるけど。受け入れられない。
「おやすみしたい」
「外に発信とかしたくない」
「誰も構わないでほしいし、私も構わない(私が構いたい時以外は)」
「原口色(しきたん)の活動なんていらない」
(色は本名じゃないのです)
しかし、それではお金はどうするんだろう。。
まあしきたんの活動でもお金はほとんど入ってないんだけど。
リベレスタでの活動ももうやめるか、
もうそれでもいいか、それでダメなら死ねばいい。
最近、死んだっていいんだとよく思う。
後悔なく生きてればいつ死んでもいい、
生きる目的、目標を作ってみてもきりがない。
ならばいつ死んでもいいじゃないか。
高校から帰る帰り道、TSUTAYAのとあるポスターを眺めて
「私もこんな風にみんなで楽しい時間を過ごせたら私はもう死んでもいい」
と、制服を着た当時の私は確かに思った。
そんな楽しい瞬間を、私はもう盛りだくさん味わったじゃないか。
ならばもう満足なのではないか。
今の私はこの"虫"の思考に浸ることもできないし
だからといって龍がけしかけてくる方向へいく元気もない
これからどこに行くのか。結論はありません。
発信いやだ、もうおやすみだと言いながら
しきたんの自由なブログを書いてしまった。
ちょっとした袋小路の中からお送りしました(^0^)
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