しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

5月のお茶会(牧村朝子×嶽本野ばら)レポ

明日、京都(NOVALAZA)へ行くことを考えると落ち着いていられない....。そわそわついでに、とある関係者の中で限定的に投稿していたイベントレポをブログ用に編集し直し公開してみます。

レポという名の自慢になってしまうかもしれません。いえ、確実に一部そうなりますがお許しください、こんなことってあるでしょうか、とばかりの、あまりの幸運に圧死しそうになった日のことなので....

 

若草の乙女集いし秘密のお茶会

5月の末、神保町のブックハウスカフェでその会は開かれました。ブックハウスカフェとは、カフェやバーも併設の絵本専門店。とても可愛らしいお店です。その2階へ上がると、どこぞの由緒正しき洋館へ彷徨い込んでしまったかのような格式高き空間が広がります。少し開いた扉から、洋書が積み上がっているのが見えたり... 古書の集まる神保町という町に、実はほとんど足を運んだこともなかった私はこの異空間にすでに高揚していました。

 

「どうぞ、こちらへ」

声をかけていただいたのは、主催者・文筆家 牧村朝子さん(まきむぅさん)。黒いワンピースでまとめた、シックな装い。初めてお会いしたのですが、タレントなのに飾らないこの感じ、参加者への細やかな気遣いに始まる前から癒されます。

 

定員30名にぴったりの白基調の素敵な会場。後に知るところによると、この会で初めて使用された新しいお部屋なんだとか。すでに半数以上の席は埋まっていました。ロリータファッションな方もいらっしゃりつつ、その割合は予想よりは少なく。最前列近辺はお知り合い同士と見られる方々で賑わい、他は一人参加の方も多いようでほっとしつつ待ちます。(もちろん私も一人です)

 

いよいよゲストをお呼びするお時間。まきむぅさんの音頭でみんなで叫ぶ。

「野ばらちゃ〜〜〜〜〜ん!!!」 (←練習と本番がありました。練習時は、”これは練習なので、無視してくださいね!”とまきむぅさん。笑)

うららかな乙女たちの呼び声に答え、乙女のカリスマの異名の輝きを放ち続ける作家・嶽本野ばら先生、颯爽とご登場。(わー!ぱちぱちぱち)

ちなみに大先生へちゃん付けするのは尊敬と敬愛と大好きな気持ちがかけ合わさった複雑な乙女心ゆえ。私も、この会に出席してから、先生をつけずに言うならば、野ばらさんというよりも野ばらちゃんがしっくりくる...と、心の中で敬称を変更いたしました。

野ばらちゃんの当日のお召しものは... さりげなくスケスケなトップス(黒)、ボトムは黒に白いラインが数本のジャージ(3連フリル付き・ついでに足掛けもついてる)、足元は勿論ロッキンホースバレリーナ。(トークショー内でお洋服について話題になり、このボトムスはご自身のブランドで製作されたものと判明。今は製造されてないようです。そして、スケスケは今年のトレンドとのこと。※といっても重ね着なので、一部だけスケてました、お洒落です)

 

牧村朝子×嶽本野ばら トークショー&文章教室

参加者から集まった質問リストを手に、巧みに野ばらちゃんからお話を引き出すまきむぅさん。(書き起こしではありません。私の主観もきっと入っています、以下はあくまで”イメージ”としてお楽しみください。録音して書き起こして編集すればよかったのですが、後の祭り><)

 

Q、野ばらちゃんは、いつもどうやって書いているの?

 A、PCの前に座って、20文字設定設定にして、横書きね、小説書く人って原稿用紙に書くみたいに縦書きで書く人多いんだけど、僕はライター出身だからか横書きなの。そうして、書き始めます。

 

Q、以前、プロットは立てないで書いている、とお聞きしたのだけど...

A、うん、プロット立てない。だって、書いててつまらないでしょう、結末分かっちゃうと。(笑)まあプロット書いてくださいって言われる場合は書くけど、それもごく簡単にざっくりと書くだけ。でもね、下調べは結構やるよ。

取材でお話を聞く時間の他にも、その現場に行くまでの道のりでのこととか、全てのその準備の過程で、頭のどこかで、(プロットが)出来ていっている感じ。自分には分からないけど、どこかで、たしかに出来ているのよ。

自分が書けるための蓄積が満タンにならないと、書けない。(物を書く)練習という場合にプロットの練習も確かにあるけど、やっぱり下調べというものもまた、ある。イメージだけで書いている、ということは、なぜだか、分かってしまうものです。例えば「通り魔」という作品は、貧しくて、派遣をやっている人を主題に書いてくださいと言われたものなんだけど、それを聞いて閃いたのは、縫製工場。縫製工場というものはかなり(労働環境が)ひどいと聞いていて、ここならコネはないけどツテはある、と思いついて某ブランドに電話したのね。そして、そこの下請け工場に話を聞きに行きました。

 

(あの『下妻物語』の下調べについての楽しいお話もお聞かせいただきました。実は下妻とちょっと離れた場所を取材していたとか。続編書く前の下調べでは、映画化のあとだったのでけっこう(有名になりすぎて)大変だったとか、他にもここには書けない面白いお話も、たくさんありました)

 

Q、求められることを書くべきか、書きたいことを書くべきか

A、前提として、依頼を受けて書く時は前者。書きたいことがあって書く時は後者だよね。ただ、後者には現代的な問題があって。昔は書きたいことは自分だけのものだった。あるいは、手紙なら書き手と出す相手のためのものだった。今は、SNSとかネットがあるから、誰に向けて書いているのかよくわからないという状況がある。書きたいまま書くと炎上してしまったり、そうではなくともいろいろなことを考えてしまったり。みんな、書きたいことを書くのをセーブしていて、疲れたり、悩んだり、結構面倒なことになっていると思うよ。

 

(本当だ。。!!知らぬ間にセーブする癖、ついてるかもしれない。と思いました。この論点について、今後出版されるお話で言及されるとか。楽しみです。)

 

Q、美しい文章とは?

A、とても基本的なことだけど、三段論法という物がある。大前提、小前提、結論。ソクラテスは人間だ、人間は死ぬ、ソクラテスは死ぬ、ってやつ。これがずれてると、よくわからない文章になってしまう。

とても簡単なようなのだけど、自分が出来ているかどうかを自分で(客観的に)ジャッジするのは大変難しい。

たとえば、「僕は腹がたった、だから彼を殴った」という文章。なぜ腹がたったの?と、ここが気になるわけ。「彼がお菓子を食べちゃったから、腹がたった、だから彼を殴った」は、まあまあ納得できる。。けど、例えば「彼が僕より先にトイレに行った、僕は腹がたった、だから彼を殴った」となると、どうしてトイレに先に行くと殴るほど腹がたつの? となる。

ただまあ、これにガチガチに縛られすぎると面白くなくなっちゃう。基本は分かっておこう、ということね。

僕がいいと思う文章は、飾らず、ストレートに書いている文章。たとえば、野口英夫の母の手紙。これには、どうやっても勝てない。

「自分が、誰に対して、何を分かって欲しくて、書きたいのか」上手い下手の前に、まずこれが重要。これがないと、ただの説明文になってしまうんだよね。

 

(ぎゃー。その通りだわ。他人が読んで、意味がわかるか。面白いかどうかって結局そこな気がしました。自分の中では論理が飛んでても”当然そうだよね?”みたいな前提で書いちゃうから、微妙に(あるいは大変)イミフな展開となり、読みづらい文章、読めない文章と化すのだわ。。)

 

まさかの朗読・個人指導....!

 私、このイベントはほぼ偶然参加したようなものなのです。たまたま入った文芸部で、たまたま野ばらちゃんを好きな人が多く、部長のお知り合いだったのでゲストにお呼びし開催された、という... そんな機会がなければ、再び野ばらちゃんに会いに行くこともたぶん一生なかったのではないかと思います。 

  

何しろ、私が野ばらちゃん文学を愛読していたのはもう15年も前。それまで生きてきたのと同じ分の年月がたち、31歳となった今の私はかつてとはまったくの別人になってしまったようで、そんな人間でも行って良いのだろうか(熱狂的なファンが大集合するに決まっているのです)と思いながら神経を思い切り太くして参加してきたのです。

さらに、「野ばらちゃんぽい文章(文体)で何か書いてくれたら、野ばらちゃんが添削、コメントくれるかも!」というまきむぅさんの企画されたワークショップコーナーがあったので、何か出さねば損だわ、とばかりに私は前日夜に(!)原稿用紙2枚分の一応超短編小説を提出しました。ひー。図太い。。

 

そしたら。様々な提出作品を一つ一つ読んでいただいていて、赤を入れられている、とは聞いていましたが、その中で私の提出作品に言及してくださったのです。

コメント前に、「けちょんけちょんに言われてもいいなら、名前を読んだら手をあげてね」とおっしゃられ、なんと自分の名前を呼ばれ、私は速攻挙手しました。心臓飛び出そうでした。

 

まず、私の800文字を朗読してくださいました。私が昨日の夜推敲した文章が、”嶽本野ばら”の口から聞くことになるなんて。。。。。。これって、神と崇めるロックスターが自分の作った歌を歌ってくれた、と同義なのですよ。身体中の細胞がどうにかなっちゃうんじゃないかと。。ゆっくり、雰囲気たっぷりに会場で読まれる私の書いた文章は、あれ?こんなに素敵だったかしらと感じさせるものでした...

 

そして、コメント。

「どう? みんな、良い感じと思ったでしょ。でもそれ、僕の朗読が良いってことだからね!(笑)

作者の強調したいだろう所を、ゆっくり読んだりしているから、その雰囲気が伝わりやすくなる。一般的に、黙読の方が(ニュアンス、印象が)薄くなるからね。

これは夢をモチーフにしているから、夢の不思議な感じを出すために相手をぼかすような形で書いてあるわけだけど、これを出し惜しみせず、詰め込んでしまう手法がある。

たとえばこんな感じで・・・(“相手に対して投げかけられたセリフ”をまとめて読んでくださいました)これは、最初から最後までに散りばめられている会話を、ひとまとめにしてみたわけ。 

「あなたもそうおっしゃるんですね」とか、不条理を匂わすセンテンスがあって、作者的にはおそらく重要なポイントとして書いていると思われる。この文章たちを強調しながらストーリーを展開したいと思われる、しかし果たして、そこ(点在している不条理センテンスの最後の文章)まで読者は飽きずについてこれるのか!?という問題がある。

なので、重要な(=キャッチーな)言葉をバンバンバン、と連ねて、一気に(読者の)心を掴み切っちゃう。5行読ませたら勝ちだからね。要は掴み、というかね。」

 

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えーと。全然けちょんけちょんじゃない。面白くするには、の具体的な案や文章の編成まで素人の私に丁寧に教えていただき、女神のようです...(いえ、”男のコ”なので女神ではないのですが) 

でも、けちょんけちょんポイントもちゃんと掴めたと思います。たぶんこうおっしゃっていたのだと思います。「これじゃぁつまらない。読者は途中で飽きちゃうよ」。わ〜〜〜 感涙。これをちゃんと言っていただけることがどれほどありがたいか。。私、小説を誰かに教えていただいたことなんてなくて(というかまだあまり書いたこともない)そんな時、まさか敬愛する嶽本野ばら先生にこんなにちゃんと教えていただけるなんて...。書けと言われているに違いない。と、その日確信しました。

 

私はもっと文章を書く。小説もエッセイもいろいろ書いてみます。

 

 

お茶会終了後はサイン会で、私は最新エッセイ『落花生』を購入し、私のわかりづらい名前をサインをしていただき、お手紙をお渡しし、そしてお写真も一緒に撮っていただき、まさに15年前にトリップしていました。(写真は、載せようか載せまいか、まだ迷っています。。。)

 

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明日(時刻的にはもう本日)、ついに京都で開催されているNOVALAZAへ行ってきます。今度は、文芸指導ではなく演劇指導が!演劇なんて、えっと、文化祭以来?うーむ。不安もいっぱいですが、楽しんできたいと思います。笑  『世界の終わりという名の雑貨店』に行くような気持ちで、とっても楽しみです。

 

・まきむぅの手乗り文芸部

Synapse(シナプス) - まきむぅの 手乗り文芸部

・NOVALA座(期間限定ギャラリー@京都 7/25-7/30)
https://www.novalaza.com/

 

ミシン missin’

ミシン missin’

 

↑『世界の終わりという名の雑貨店』はこの中に入っています

 

 

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