現実と小説のあいだ (まきむぅが聞くっ めろん先生の小説レシピ 対談イベントレポ)
先日、六本木グランドタワーで開催された、「まきむぅが聞くっ めろん先生の小説レシピ」に参加してきました。手乗り文芸部部長の牧村朝子さん主催の、海猫沢めろん先生との対談イベントです。
とってもオシャレな会場でした!(画像はwantedlyさんからお借りしました)
このシャンデリアの元でお茶を飲みつつ優雅に語り合ったのでした♡
いわゆるスクール形式でみんなで前を向いてパネルトークを聞くのではなく、まさに座談会形式でテーブルを囲む形での、なんならコース料理が出てきてもおかしくないような、ゴージャスアンドファビュラスなひとときでございました♡
こちら、まきむぅ部長。昨日もこの帽子被っていらっしゃいました。かわいい!前回同様、安定のインタビュアー力でたくさんのお話を引き出してくださいました、ありがとうございます。
そして、海猫沢めろん先生。そういえばめろん先生もイベント時は中折れハットスタイルでした〜!
前半はめろん先生の今までから最近にかけてのお話、後半は小説書くことについてお話してくださいました。(メモベースなので私の主観も入っている可能性もあります。ご容赦ください。)
実は私は文芸部の企画経由でめろん先生の本を読み、コラムを少し読んだり新作を1冊読んだ他、何も知らずにノコノコ出向いた人間なのですが(ごめんなさい)正直、私の想像以上の半生を生き抜いてきた方だったのでした。
その半生についてはここには書けないお話もたくさんありましたので(事実は小説より奇なり!)残念ながら省略させていただき、代わりにネットで発見したインタビュー記事を貼っておきます。
「僕なんて最初字が書けなかったですからね」
これは私にとって衝撃でした。大げさに聞こえるかもしれないけれども、無人島に流されてサバイバルしたとか、奴隷に生まれたが一代で殿様になったみたいな、そういう運命切り開き感。映画あるいは小説のような。。私はいわゆる学歴社会に染まって育った人間なので、そういう無我夢中で目の前に見えるものをとにかく掴んで生きるしか生きる道はなかった、そうして作家になったのであった、というお話はとても新鮮でした。
「30手前で作家になりたいと思ったら、まあ普通は賞を目指すじゃないですか。でもね、」
めろん先生にもその発想はあったとはいえ現実的ではないと思い、自分で手がけたゲームをノベライズしてしまうという非常に泥臭く出版を掴んだエピソードがアツかった!
私は今31歳でそもそも30歳オーバーだけど(とはいえここは別に何の本質でもない)今からでも目の前にあるものを掴んで行くことはできる。全然できる。(というか私も私で別の目の前のものを掴んでここまで生きてきたわけだし)めろん先生も今ももちろん全力で、野心や好奇心もりもりで生きていらっしゃる様子にとても励まされました。
その前のめり感はまるで『キッズファイヤー・ドットコム』の白鳥神威のようです。
後半は、小説レシピ!
「小説の書き方教えてください」に対しては「まずは環境(PCのソフト、書く部屋など)を整えよう」というアドバイス。私は「どんな環境でも書くときは書くだろう、環境のせいにして甘えるな!それは要は書くことがないんだよ!」とか自責がちなところがあるので(笑)あ、甘えていいのかな と思いました。
「書くこと(キャラ)に没頭しすぎてしまうことが怖い」という話題についても、自分にとってのスイッチを「場所」に設定するのも良いかもというお話があったりして。(その部屋にいるときに没頭して、離れたら元の自分にちゃんと戻れるように)やっぱり、作品づくりをしているときって通常の意識的な自分とは少し離れたところにいるのかも・・・?
別世界と交信しながら書く作家もいる
たとえば、作家・滝本竜彦先生は、高次元の存在とつながって書くようなことをされているらしい。(ご自身のサイトで5次元に至るライトノベル(光の小説)を書くと書いてあるのでそのように表現しても良いのだと思われます)
私は高校時代だったか彼の『NHKにようこそ』『ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ』には大変はまった覚えがありまして。その後のことは知らなかったので、単純にその変化に驚きでしたが、いやーNHK再読したい!
めろん先生はそういったいわゆるスピリチュアルとか超常現象と呼ばれるようなことについては興味関心は人一倍あるものの没頭はできないタイプで、かなりニュートラル。価値観の幅が広い印象でした。
高次元とつながった感覚がなくても、多かれ少なかれ、やっぱりハッキリした「私は私!」っていう意識が覚醒した状態から離れた状態で人は物語(小説、エッセイ、日記、などなど)を書いているんじゃないのかなあ。もっと没頭して意識レベルを下げて
(曖昧にして)書いてみたいなあって私は思います。
現実と小説のあいだ
例えば「椅子に座ってPCを見ている」これだけの状態で、身体の感覚に注目して仔細に書いていくと文体が変わっていく、小説的な文章になる、とめろん先生。
普段なら見過ごすお尻が椅子に当たる感覚、喉の乾き、聞こえる音、振動、すべて、掻き取ろうとしてみると良いトレーニングになると聞き、さっそくまきむぅ部長は文芸部のトレーニングに取り入れるという場面がありました〜!(私も後ほどそのトレーニング参戦したいと思います♪)
それから、万人が使う慣用句を使わないこと。たとえば「面白い」を使わないで、自分が感じたオリジナルの表現をすること。 たしかに、自分の感覚、身体レベルの感覚で書けばきっとできるはず。
ここは私のつぶやきですが・・・たしかに、私たちの毎日は目で見えるものや頭で考えることにかなり偏っている。身体の感覚が欠落しがち。人の息づかい、手のひらの感覚、体温の上昇、心の動き、そういったものに触れると、やっぱり心と身体が反応する何かがあるよね。
実話を小説風にしたものと本当に創作の小説って何が違うんだろう。私は、それって正直違わないと思うことがあります。一つの考え方として、小説なのかどうかって実話か創作かじゃない、どれだけ自分に近く感じられるか、現実的次元を飛び越えられるか、なのかもしれない。小説とは媒介である、と言えるのかも。。
小説を構成するもの
・文体/ストーリー/自分に中にある(表現したい)もの
どれも大事なことだけど、どれも伸ばすよりもどれか一つ、これしかできない!というものを大事にすると突破できたりする。
・舞台/キャラ/エピソード/テーマ/人称
人称はカメラの位置、台数が決まる。もし三人称にするなら取材にいったら写真は必ず撮ること。たとえばキャラが変わるがわる一人称で語るお話があるけど、それは三人称にする方が読みやすかったり、適切な人称がある。
一人称で描かれる風景描写が心理描写とほぼイコールで、少女漫画で背景に花が咲いているのと酷似しているけど、三人称の風景描写は話が別。
「とはいえ、自分の自然なフォームで書けるのが一番いいですよね!」
考えすぎはNG、ってことでした。うんうん。私人称気にしすぎて書き始められなかった苦い経験あるもん。中学生とかの時に。。笑
「まず書く」でOK
最後に、文芸部のメンバーの作品(800字しばりの小説)を読んでアドバイスをいただきました!
私の作品について、自分では最初良く書けたと思ったのですが、周りの反応を見る限り内容が伝わってないとしか思えず、こりゃだめだったんだ・・・説明が足りなかったんだと反省していました。
めろん先生曰く
「確かに、舞台は必要。これだとここがどこなのか分からない。この舞台が”店”ってわかるように店内の様子の描写とか書くだけで変わるんじゃないですか」
た、たしかに・・・!私の話は店にいる1人の人物の、現実→回想シーン→現実という流れなのですが、そもそも「回想している」ことが伝わっていないという致命的な状態だったのでした。汗
「キャラクターも、たとえばここのセリフとかもっと深められるかも。この主人公が贅沢してるんだけど本当はネカフェ暮らしなんだとか、背景があると奥行きが出るよね」
これ800字小説なので実際はそこまで書けないんですが、そうやって量が増えるのか。なるほどなるほど。。
「そうやってこの幾つかのエピソードが形になって、最後3つがつながったり、タイトルが何かのキーになってたりすると最高ですよね!」
おー!なるほどー!!そのお話は私の実話をコアにして書いていたので、結構自分自身の境遇、エピソードの主観的なものが邪魔をしていたんだな、もっといろんな方向に形作ることができるんだな、と感じた瞬間でした。
「うまくまとまるか、着地できるか、考えすぎずにまず書いてみて、それから付け加えていくので全然大丈夫!」と言っていただき、書き直してみようと思いました。
私は、めろん先生が、このわかりにくい文章についての大体の流れを読解してくれたこと、主人公が複雑な心境であると読み取ってくれたことがとても嬉しかったです。
ご指導、ありがとうございました!!
小説を書くにあたっての「体力」
「要するに、体力がないんですよ」
めろん先生も書き始めて最初の頃は、長編を書こう!と思って書き始めて10枚で終わってしまうということが良くあったと言います。
体力がない、足りないとは、300枚書こうとしているのに30枚の情報・内容しかないということであり、300枚書く時は取材する調べるたくさんの意見を自分の中に入れるなどなど(ここはその人なりのやり方で)それなりの体力を蓄えて書くのが重要、とのこと。
ちなみに。。現実を書きたい時にはイメージで書いちゃダメなので人に話を聞いたり実際に行ったりすることが必要だけど、全く取材なしで書く人もいる。取材や調査をそれを突き詰めていくと小説からジャーナリズムにも近づいていく。例として村上龍さんをあげられていて、納得。(小説からカンブリア宮殿まで行きましたもんね。)
さて作品を見ていただいた後「私のこの作品て本当は何枚くらいのものなんでしょうか」と質問をして、「結局、どのくらい何を伝えたいか、ですよね」というアンサー。そうですよねえ。私が何枚分持っているか、アウトプットしたいかでそれは自動的に決まっているようなもの。で、それは書き出してみないと分からない。→じゃあ書いてみようと思ったのでした。
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話に花が咲きに咲き、だいぶ時間が押してしまって、会場明け渡しの時間に解散!
その後、文芸部の部員数名でささやかにお茶をしました。いつもオンラインの文字のコミュニケーションだったので、始めて直接会ってお話できて感動のひとときでした♡
トークイベント終了後のサインタイムにてサインを入れていただいてご本人から購入させてもらいました。ゆっくり拝読します。