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しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

親に嘘をつきつづけるということ

今週末に久々(といっても4ヶ月ぶりくらい)に親と会うことになった。

 

このブログで書いてあるほとんど全てのことについて親には話していない。3社目の会社を辞めたこと、パートナーとソーシャルスタートアップしていること、貯金は使い倒したことなどなど。

 

 

今週末会う時もそういう情報更新はせずに無難に話すつもり。。

とはいえ、ほぼ100%の確立で「会社どう?」「彼女の仕事はどう?※」という質問が来る。「変わりなく会社で楽しくやってるよ」と言うことになるので、多少は嘘をつくことになる。(※同性パートナーのことは話してあるのです。)

 

親に嘘をつくことは心苦しいけれども、本当のことを言うとかなり介入(指示としてのアドバイス)してきたりバッシングしてきたりするのでこれは仕方が無い。

 

いや、私が「親に本当のことを言っても介入もバッシングもない」と100%心から信じられたらそういうことも現実化しないのだろうけど、今の所それは信じられないので仕方が無い。

 

 

できることなら本当の私の日常を話したいが、背に腹はかえられない。

 

  

 

 

私が生まれた家庭の家訓(?)は「嘘をついてはいけない」だった。笑

 

 

しかし・・・ なぜ嘘をついてはいけないのだろう?

 

 

嘘つきは泥棒の始まりだから?

 

 

たしかに。私は親に嘘をついていた末に、万引きするようになったから嘘つきは泥棒の始まりっていうのは私に限っては合ってたのかも。結果論だけど。

 

でも、嘘をついていたら悪事のハードルが下がっていって泥棒になってしまう・・・ということではないだろう。嘘をつく状況においこまれてる子がさらに追い込まれて、嘘だけでは足りなくなってもっと他の行動を起こし出すっていうだけだと思う。だから嘘をついただどうこうではなく、嘘をついたその時点でもう何かわだかまりがあるのだ。

 

 

 

親が言う「嘘をつくな」はつまりコントロールワードなのだろう。

なぜ嘘をついてはいけないかというと、子どもをコントロールできなくなるから。

 

というわけで、「嘘をつくな」と言われる関係性は、コントロールの関係性である場合が多いのではと思う。

人間はコントロールされるのはイヤな生き物だ。

つまり、嘘をつきながら好きなように振る舞うようになる。

(嘘をつきながらしか好きなようには振る舞えない) 

 

 

 

嘘をつかざるを得ない環境下のなかで、嘘をつくな、というのは厳しい。

自分じゃない誰かになりきれ、と言われているようなものだと思う。

私はそんなことはしたくない。ていうかさすがにできないよね。

 

 

親の理想イメージでリアルに生きることは無理。不可能。私は親が無意識のうちに望んできたような平均的で都合の良い子ではないのだ。(そんな人どこにもいないよね。)

で、親の理想から外れた形(つまり一人の人間として自然な形)で生きた結果、どうこう言われるのもイヤだ。だったら嘘をつくほかに選択肢はない。

 

 

 

 

昔は自分の心のほうに嘘をついて、やりたいこともやらず言いたいことも言わずに親の期待通りに振る舞い、それで蓄積した傷とか不満とかさびしさを解消するために自分で自分に攻撃を向けたこともあった。(万引きもその一つ。)

 

 

 

 

私は、自分の心に嘘をつかずに生きるためには、これからも親にはいくらでも嘘をつきつづけようと思う。

 

 

本当のことを話しても大丈夫だな!もう私を無理矢理コントロールしてこないな!と思えたら、本当の私の話をしてあげようと思う。

 

 

親のことは嫌いじゃないよ。ただ私は親よりも自分のほうが可愛いから、そうする。

 ママともパパとも、いつか自立した個人同士として仲良くなれたらいいなと思ってる。

 

 

 

  

 

マハロ〜♡

 

 

 

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しきたん / 原口色(Shiki Haraguchi)

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