しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

『503』

シンク横の壁に黒い影がひとつ。シミではない。

明治のチョコレート菓子、ガルボ的な立体感がある。彼は黒い影を数秒見つめ、「もう寝る時間だよ」と追い払った。日課なのだ。草木も眠るはずの午前2時だがゴキブリは果たして睡眠をとるのだろうか。ちょっと脅かすと見えないところへ逃げてしまうので特に追跡はしていない。

いつの間にか、職場の誰もが彼を中井さんと呼ぶようになった。漫画『バクマン。』が会社で回し読みされ、キャラの一人に非常によく似ているという理由で、否定せず適当に返事をしているうちに定着してしまった。「中井さん」とは、簡単にいうと暇があればピザを食べている、そろそろ加齢臭も発生しそうなキモいデブなオッサンである。そのようなあだ名、もはや人権侵害でありハラスメントで訴えられるかもしれないが、とうとう彼まで回ってきた『バクマン。』を読んで諦めた。容姿はともかくとして、「中井さん」の ゴミだらけ、ピザの箱だらけ、虫も這いずる職場兼自宅の様子が、スケッチでもしたかのように彼の自宅と一致していた。周りにすべて見透かされているようで職場に行けなくなってから半年経つが、貯金はあったので基本的に今もピザを食べ続けている。コンビニやスーパーへ行って笑われているとしか思えず鼓動が早まるのでほとんど部屋から出られず、必然的に出前に頼るしかない。


この部屋は自分一人のようで、そうではない。たぶん、今まで顔を合わせたことのある者やその近親たる者がじっと壁の裏や管の中に身を寄せている。隣の住民がゴキブリが出たと大騒ぎしているのがベランダ越しに聞こえたが、どうして彼らを殺せようか。食べて排泄して生きているだけなのに、なぜそんなにも憎まれ、さらには殺されなければならないのだろう。

 

窓ガラスにぶつかる雨粒の音がますます激しさを増してきていたが、それもまた彼には関係はなかった、むしろ雨が降るたび永遠に降りやまないでいてほしいと願っていた。

シンク横に再度黒い影が登り、一瞬上下にパタパタ動き、方向転換し引き返していった。おやすみの挨拶のつもりかな。彼はかすかに微笑み、消灯した。

 

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7月の800字小説 テーマ:奴が来る夜