しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

お金が全て、ではない

6月末に引っ越してからはやくも3週間、ようやっとブログをつらつら書ける余裕が出てきました。非常に困難を極めた分、大人の階段、だいぶ上がっちゃった気が...します。

賃貸契約破棄事件

一度、引っ越し先として狙いを定めた、T町のとある物件で賃貸契約書を交わしたのです。私たちも、不動産会社も、オーナーもサインし契約完了、あとは引っ越しの準備をするだけ...のはずが、とある事情でひっくり返され賃貸契約は白紙に返ったのでした。ここに至るまで、いくつもの町で内見をし、様々な可能性を検討しては諦め、新たに探し、の繰り返しでやっとここまでこぎつけた、ベストというかこれしかない!と確信した契約だったので、もう呆然。借主がやっぱやめたい、とゴネることはたまにあるんでしょうけど.... そんなの聞いた事ない、と話した人全員に言われたのでやはりこれは稀なるレアケースなのだろう。。(不動産会社がゴネたわけではないですが、不動産会社の各関係者への確認に手ぬかりがあったと言わざるを得ない、ケースでした)

いやはやこんなことが許されて良いものでしょうか。すでに定めてしまった(お客様へ告知済みの)仕事のスケジュール、すでになんども不動産屋へ足を運んだ労力、そして新たな物件を探す労力、同等以上の条件の物件が出てくる確率の低さよ...

さらに決まらない

条件を妥協し同じ不動産会社で他にも物件を見て、申し込みまでしたものの、今度は審査が通らず。ここでダメならもう、不動産会社を変えるしかないということで、替えました。この町は物件自体が少なかったので町も変えました。湘南全域〜横浜市までネット上で物件を漁り、もうわけがわからなくなり、物件はそこそこに不動産探しに切り替えて...

決まった...!

気になる物件が横浜にあったので、横浜の不動産をリサーチしました。が、どこが良いのか正直さっぱりわからんもので。結局、その物件を掲載していた会社というか営業マンが優秀であることを祈念しながら電話をかけ、結果、優秀な営業マンにつながったのです。嗚呼捨てる神あれば拾う神あり。。

そもそも、かなり難易度の高い案件だったのだと今まで自覚していた以上に痛感しました。個人事業主でしかも「女性同士の二人暮らし」 。今まで二人で暮らせていたのは「一人の場所にもう一人が転がり込んでいたから」「条件のゆるいのんびりした町だったから」。ここには書きませんがどんどん物件数が少なくなる様々な条件を盛り込んだ上、都心で女性の二人暮らしを叶える、ってエベレスト級だったかもしれない。いや、男性同士の方が難しそうだから富士山級くらいか。久しぶり、あるいは初めて社会的に女性同士のパートナーシップってやつにハードルを感じた出来事でした。(最後、T町で審査下りなかったのはこれが原因。LGBTなんですけどダメですか?と言ってはみたものの、管理会社からはまだ受け入れ態勢ができていなくてごめんなさい、という回答。”LGBT”で意味が通じる、この事実は驚愕もの、しかし大手管理会社物件に普通に入居できるようになるにはもう少し時間がかかりそうです)

ともあれ、担当の方に頭も足もフル回転していただき、私たちも尽力し、見事条件通りの物件で賃貸契約を結ぶことができました。結局、新横浜に落ち着きました。野村さん、本当にありがとうございました。引っ越ししたい、難易度高い自覚のある方、ぜひ一度彼に相談してみましょう!こうやってつい紹介しちゃう人が多いんでしょうね、口コミ来店が多いらしい。(宣伝費はもらってません〜)

 

お金が全て、ではない

とは、よく聞く言葉であるけど、今回ほど実感したことはありませんでした。今回T町で最初の契約でうまくいっていたらと思うと、初期費用も固定費も、結果的にかかったお金はかなり違いました。

横浜の不動産屋へ行く前に、理不尽な思いが抑えきれず、知り合いの弁護士さんにも相談しました。だって、労力的にも、かなり無駄になった。大きく損を食らった。信じられない。ただでさえお金のかかる引っ越しで、これ以上かかるなんて。お客さんからもらったお金を無駄にしたくない。これがごめんなさいで済むと思う?泣き寝入りしていいわけ? でも、弁護士さんに色々と教えていただいた結果、弁護士費用やさらなる労力を考えて、やめました。(小野田さんその節は本当にありがとうございました。せめてものお礼代わりに勝手にリンク貼っておきます)

仮に賠償金がおりたとして弁護士費用とトントンになってしまう今回、損害賠償を求める必要は本当はなくて、自分で消化できれば本当はそれでもういいのです。

T町の担当者をもっと原因追求したりしつこく叱ることはできたけど、そのことに力を割かなかった、もう叱るほどの優しさは残っていませんでした。そのときの自分がしたいと思うことをして、できないことはしなくていいのだ、と思いました。

明らかに損害賠償な場合は(お金が相手から返されないとか)やったほうがいいけど難しいものまでも立件しようとしたり、その労力、ストレス、それらはもうかけなくていいのだと思いました。幸い、契約破棄された際の初期費用は全額戻ってきました。

 2年前に大金はたいて購入した中古車、鮮やかなう◯こ色のマーチちゃんのハンドルを握りながら、この車も2年も乗らずに、しかも私は運転し始めてまだ数ヶ月なのに、もう手放すかもしれない、でも、、、「それでも、それでいいんだ」と思った瞬間、どこかとても爽やかで、”諦める”とはこういうことか、と思いました。(その後、本当に手放すことになりました。引っ越し日の夜に、最後の役目を終えたマーチちゃんとお別れ。T町に住んでいたら、手放す必要はなかった。でも運命は変わりました。荒野を共に旅した馬との別れのごとくチリチリ痛む胸を抑えつ、手を振り、売却しました)

 

これから、新しい家に住んで、もしかするとまたすぐに何か動きがあるかもしれない。せっかく初期費用たくさん積んだのに引っ越すことになるのかもしれない。

それでも、それはそれでいい。費用対効果が低いことをしたからといって、それはあくまで金の問題であって、私は実は何も損はしていない。金銭的コスパが良いこと、元をとること、そんなことは実はたいして重要じゃない。どちらか選べるならば、そうする、くらいのこと。私はいくらもらえるはずだった、払わなくていいはずだった、これだけ支払ったのだからこのくらいのものが得られるはずだった、なのにそれが叶わなかったということに対しての不満によって、つまりお金という自分の外側の尺度に従うことによって制限される自由は想像以上に大きいのかもしれない。

私の母親はいつも(私の住んでいる)マンションの更新時期を気にしています。更新したすぐ後に引っ越したらもったいないということで。まぁもちろんたしかにそうではあるけど、それに縛られすぎると行動が非常に制限されてしまう、そういうことです。

 

振り返ると、この騒動があったから、不動産賃貸の複雑さ、難解さ、それを通じて社会の階層というか、色々なことが学べました。損だけではなくて、弁護士さんへの相談や、私たちに協力してくれる近しい方々のありがたみを感じることなど、得もいろいろあった。というか、ぜんぶひっくるめると損も得もない、いろいろあった...... ”お金が全て”で行動したら、そのいろいろ、無かったんじゃないかしらん。 そうそう、野村さんとの大船チャレンジ、からの新横浜チャレンジはかなり楽しかったし、結果的に今の私たちに一番合った場所に移れた気がします。

お金にまつわる感情に引きずられて要らぬなもの買ってしまったり、変な妥協をしたりすることこそ、本当の意味で損なのじゃなかろうか。お金は、全てではない。費用対効果なんて悪くても構わないのです。

 

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