私はいつ死んでもよくなった
「暇だな〜」 作戦が功を奏したからか、ほんとーにやるべきことなんてないんだなって改めてしみじみ感じまして。。
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薄暗いリビングに転がりながら、思ったこと。
あー 私、このまま死ぬのかな・・・
こんな感じの毎日のまま。
やだな・・・・。
じゃあ、どう死にたい?
どうなったら死んでもいいの?
と自分に問いかけると
(「心よ」ってつけなかった。つけなかったけど後で心に確認したら本音ってことでいいらしい)
私の希望は、
「この世の全てを感じ尽くして死にたい」
ということだった。
へぇ・・・そうなんだ。
でも確かにそう思ってるわ。
幼少期に、死んじゃったら世界が見れなくなってしまうのが嫌だ、
って思っていたのを覚えてる。物語の続きが見れなくなる、みたいなね。
しかし「全てを感じ尽くす」というのは、いわゆる「現実的」には不可能だろう。世界中全ての土地に行って全てのご飯を食べて、全ての文化を見て全ての人の感情を感じて・・・なんて無理だ。
本当は過去や未来なんてなくていまここしかない。
本当は他人なんていなくて自分しかない。
と、多くの人が言っており、私にその体感はないけれども、まあそうなんだろうな、そうだよね、と私は思っているのだけど。
その考え方で「全てを感じ尽くす」を照らしてみると、
”今を感じ尽くしていたら、いつ死んでもいいのでは?”
と思い浮かび、そりゃそうだな と思えた。
今日死ぬより明日死ぬほうが感じたことの個数は多い
けど、それで言ったらキリはない。
いったい、いつが人生の終わりなんだろう?
何を成し遂げたかではなくて、どう生きていたか。
WHATじゃなくてHOWで
DOじゃなくBE。
何歳になるまで、この仕事が終わるまで、あの旅行に行けるまで、
猫が死ぬまで、子どもが生まれるまで、子どもが20歳まで育つまで、
いろんな「ここまでは生きたいライン」案は出てくるけど
そこで終わりと言われたら、やっぱり欲は出てきてしまう。
やっぱり、自分的にベストを尽くしてたらいつ死んでもいい。
逆に言うと、なんとなく生きてたらいつまで生きてても死にたくないんだ。
自分にとってのベストを尽くそう。休みたい時休もう。
やりたいことやろう。わからないときは心にきこう。
それでもわからなくてもいい、わからないなりに自分にとってのベストを尽くそう。
私はいつ死んでもいい。
そう思うと、心がだいぶ軽くなった気がした。
いつ死んでもいいと思うとなんでも出来る気がしてくる。今までやらなかったことも、後回しにするために言い訳作ってただけだと思えてくる。
うまくできなくてもやってみればいいじゃん。
技術なくてもしょうがないじゃん。習得していけば別にいいじゃん。
もう30歳だって思ってもそれ変わらないからそのままやるしかないじゃん。
外見に不満なら化粧したり服工夫して自分が満足いくようにすればいいじゃん。
体が不安でも、その不安が私に何がくれるんだろう?不安は払拭すればいいじゃん。
お金が必要なら稼げばいいじゃん。自分がOK出せることなら何で稼いだっていいじゃん。
とにかく生きてる間は全てを感じ尽くしたいんだ、この体は。
やっぱり、自分を何かから守ることに大きなパワーを使っていたみたい。
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