しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

私を支配してくる親に借金を申し込んだ話(2)人には自由になる自由がある

この記事からの続きです。

3時間、話し合いは続いた

何がいくら足りないのか。家計として事業として数字はどうなっているのか。これからどうなっていくと考えているのか。それを明らかにした上で、これじゃ、まったくダメじゃない、という私へのダメ出しが続いた。パパは事業の数字を見てきた人間だからこれが上手くいかないということはさすがに分かるよ。だいたい、数字がちゃんと管理できてないじゃない、これじゃあお話にならないね・・・
 
私「たしかにざっくりすぎるけど、そもそもまだ1年目で、1ヶ月落ちてるけどこれから収入は増えて行く手応えがあるんだよ、自分の子どもを信じてみようって思わないの?」
父「思えないね。」
 
こんな具合である。
 
ちょっとは褒めてよ、応援してよ!自分の子どもがやりたいこと一生懸命やってそれで食っていこうと頑張ってるんじゃん!と以前の私は思っていた。繰り返しになるが、この私の渇望感が相手に振り回される原因だった。今回は、とにかく淡々と現状、および今後の見通しの話をしていった。別に褒めてくれなくていい、甘いと言われてもかまわない。これからは証拠はないけど大丈夫だ、なぜなら私が精神的に大人になり、そんな私の提供する商品(価値)はニーズがあるからだ、すでにリベレスタの仕事はお客様に大変喜ばれている、だから今だけは支援してほしい、というような話をしていった。
 
アルバイトか何かをして生活費を稼いだ上で、やりたいことをやりなさい。なぜならば、そうしないとお金がなくなり、自己破産してたいへん人の迷惑になるか、人のものをとったり騙したりする悪人になるか、頭がおかしくなって路上生活者になるか自殺してしまうのだからそうする他ないのだ。これが父の基本路線なのだが、私はそうは思えないということを話していった。誰も助けてくれなければアルバイトもするかもしれないけど、もしお金を持っている親が貸してくれるのならば、借りて今熱中していることをしながら暮らしていきたい。それが破綻への道とは思えない。
 

もう嘘をつく必要はない

この日は相手に合わせる嘘は一切つかないで通せた。今まで私は親に嘘をつくことで、私はあなたの管理下にいるんだよ、と思わせ、最低限自分のやりたいことをやってきた。しかしそれって正直しんどいし、おかしい。なぜ30にもなって、私はあなたの管理下にいるんだよ、と思われないといけないんだ?
 
子どもの頃、親に「おとなとこども、どっちがえらいの?」と聞いて「大人がえらいのよ」と言われたことを私はずっと覚えている。それは違う。大人と子どもはどちらもえらい。どちらがえらいか、ということはない。これが私の中の真実だ。今私は大人になったが、親から見ればまだ子どもであり、私より親の方がえらいというこの理論の正当性は親の中でまだ続いている。それでも私の中での正当性はとっくに崩壊したのだからそんな正当性は放っておけばいいのだ。
 

私と父の関係性

心に父のことを聞いたことがある。
Q,心よ、父は私のことを愛していますか?
→管理している。(箱があって、私はその中にいてそれを管理しているイメージ。まさに箱入り娘だな。。)これは役割であり、真面目にその役割を完遂しようとしている。
 
つまり、子どもに道を外させないためのダメだし(アドバイス)は彼にとっての重要な役割。非常識な考えに洗脳されてしまったかもしれない、精神異常かもしれない、哀れな娘へできる彼の最大の仕事。けして意地悪をしているわけではない。彼を変えることはできない。だからと言ってありがたくないのにありがたがる必要もまたない。
 
Q,心よ、私は父とどういう関係でいたらいい?
→希薄な関係。 
なるほど。。やはり箱入り娘でもなく絶縁でもなくそういう関係も可能なのか。親は支配してこようとしてくるかもしれないが、私はもう支配されない。となると、お互い自分のメリットで動くドライな人間関係が成立するのか。ドライと言ったが、これは親子で支配しあう関係性よりもよっぽど健全で理想な姿だと思う。(そういえばアメリカのドラマではそういう関係性はよく出てくる。)子どもが自分の意思を曲げてまで親に媚びるのが親孝行、というのはやっぱりおかしい。
 

人を頼っちゃ、いけないの?

「30にもなった娘が親にアルバイトも就職もせずやりたい仕事だけをやりお金を借りたいと申し出る件」について紛糾した議論をまとめると・・・

 

「病気なら良い。心身ともに健康体な人はダメ。健康体なら自分で基盤(=生活費)を稼ぎながらやりたいことやらねばならない。人を頼りにせず、まずは自分で自分の食扶持稼げってこと。」
  
「それって優しくないよね?私は人は頼っていい、助け合っていいと思ってるの。生活費も含めて。私は助けられたり、助けたりしたい。極端な例として、泥だんご作りが好きで泥だんごばかり作ってる人も、やりたくないバイトしないで生きていけるのが理想だと思ってるの。」
 
こんなことを言って両親に理解されるとは毛頭思わなかった。思わないけど、今日は私の信じる全てを伝えよう、その挑戦なのだ。そして勿論、両親が私の言っていることを受け入れることはなかった。当たり前だ、これはいわば彼らの過去を否定しているようなものなのだから。
 
母「真面目に働いている人を馬鹿にしてるの?」
私「馬鹿にはしてないよ。でもその人も我慢して働くことをやめれば、もっと楽しい人生になるかもしれないとは思ってる。」 
 
 
ここで、奇跡が起こった。。
 
会話の隙間でスマホのメールボックスを見たとき、こんなメールが届いていた。
 
今はご両親との話し合い中でしょうか、二宮にいく時間はないけどお金はあるので、
各社カードの引き落とし日的に間に合うか分かりませんが、必要な額をご連絡ください。
できる範囲でお送りします。
 
リベレスタの活動をずっと前から応援してくださっている方が、私のブログを読んでメールを送ってくれたのだった。
 
私が信じている世界がここにすでにある、助け合える世界が、ここに本当にあった。この方には(借金成功により)結局お金をいただくことはなかったのだけど、このメールは何物にも変えがたいエールになった。本当にありがとう。どこからか力が湧いてきて、私の信じるものを信じきることができた。
 

手綱がはずされた瞬間

自分が相手に屈服せず、だからと言って相手の考えを変えさせることもなく、いったいどうやって自分の希望が叶えられるのか。分からないままとにかく心とつながりつづけることだけ意識して話をしていったら、ゴールにたどり着いていた。
 
ついに父が「もう話すことは全部言った、これ以上話してると頭がおかしくなりそうだ」と言い、私が頼んだお金を私の目の前に置いたのだった。とにかく貸す。ということだった。私はこのお金を受けとったからといって思想や行動が制限されないことをとにかく気をつけた。
 
私「私の行動は私が決める。信じてほしい。バイトはするかもしれないし、しないかもしれない。何をすると約束することはできない。」
父「あとはあなたがどうするかだ、実際に見張ってることはできないんだから」
 
私たちは両者ともに言いたいことを言って平行線をどこまでも辿っていった。私は、分かってほしいとはもう思わなかった。とにかく巻き込まれないように、そして嘘でごまかさないように、私にとって本当のことを言い続けていった。
 
 

分かりあえなくても終着点はある

父は、困窮している自分の子どもに貸すことをしたい、というか、この状況下ではせざるを得ない。 そして私は父に行動を干渉されずにお金を借りたい(干渉されるなら借りたくない)。父は、母が(私の問題で)パニックになることをできれば避けたい。私は、お金の高額返済に悩まされることをできれば避けたい。
 
今回の最大の学びは、今までどこか冷淡なように感じていたことだが、人間は各々のメリットを最大化したところに妥協点を見つけて動く、ということだった。何かを決める際に必ずしもわかりあう必要性はない。分かりあわなくてもいい、分かりあったフリもしなくていい。ひとりひとり、みんな別々の現実という名の幻想を生きているのだから、相手に合わせるということはそもそもできない。分かりあわずともお互いのやりたいことをやる、ということはできるし、それしかできないのだ。
 

心にきいて、振り返る

今回は、相手の顔色を伺ってドキドキしたり、怒りで議論に執着させられることがほとんどなく、同時に「もうどうでも良いや」と乖離してしまうこともなかった。組み敷かれることなく話すことができた、のだと思う。
 
一点だけ。。。「たまには(お金が大丈夫か)報告しなさいよ」という言葉に私は反対は唱えなかったことが気にかかり、帰り道で心に聞いてみた。
 
Q, 心よ、私はパパに報告する必要ある?
→ない。パパは本気で言ってない。自分の安心安全のために言っているだけだから気にしないで。というか、パパの支配はもう気にしなくていい。あなたはもう支配するしないの段階にはない。パパはなかば諦めているよ。
 
Q,支出を書くことについては?やる?
(支出を書き出しておくことだけはやりなさいよ、と言われた件)
→やらなくていい。携帯料金のムダが気になるならそれだけやればいい。支出を気にするよりも、やりたいことをやって稼ごう。
 
そうかあ。私も「さすがに支出くらいは書き出しておこうかな」と思ったことがどこか引っかかってたんだけど、やっぱりいらないのか。確かにそうだよね、やりたいことをやる方(=収入を増やす方)にまずは注力しよう。
 
 

人には自由になる自由がある

この記事を読んでくださった方は、ひどい親だと思っただろうか。あるいはひどい娘だと思っただろうか。それは人それぞれだと思うけど、私はどちらが悪いわけでもないのだと思っている。
 
いつの間にか、私は自分が育った今までのプロセスを悪いものとは思わなくなった。 親に意思を剥奪されながら育てられたのは一時的にひどい損害を被ったなという気持ちはあるけど、それも含めて私の人生。それがあったからこそ、意思を回復するプロセスも体験できたし、自由のありがたみがわかる人間になれた。意思を剥奪してくれてありがとうとは思わないけど、それでも両親には両親なりの愛情と時間とお金を使って育ててくれたことに本当に感謝している。30まで生きられたからこそ、この体験ができた。
 
誰かに支配されてしまい自分の意思が剥奪されても、そして自分を愛せなくなったとしても、攻撃的な振る舞いをしてしまっても、自暴自棄な行動をとる人間になってしまっても、死にたい気分になってしまっても、大丈夫。全て一時的なもので、それは本来の自分ではない。誰にだって自由になる自由がある。自分はダメだ、ともし考えることがあるとしたら、それは本来の自分ではない。本来の自分は、自由で自信にあふれている。本当は、絶対に大丈夫なのだ。
 
 

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カモメの乱舞する梅沢海岸。
 
 
 
私のこの日のお話はこれで終わり。
 
次の記事で、この体験をもとにした支配テクとその回避方法を書いてみました。
 

 

☆☆☆ 今後のイベントスケジュール ☆☆☆

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母になった私が自由に生きる、あたらしい仕事の作り方
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10/22(土)東京・四谷三丁目(残席3・定員6)
10/29(土)名古屋・小本駅(残席10・定員12)

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