しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

あら不思議。人を信じることは、自分を信じることなのだった!

はろー、しきたんです。

昨日友達と近況話をしていて、その帰り道にはっとしたお話。

 

 

彼女は会社員が肌に合わない人で、 

フリーで何かしらやっていくことを模索中。

 

クリエイティブなことに造形が深くて、とにかくセンスが良い。

 

作品とかも見せてもらったんだけど、

ほんと、才能があふれてるよ!洪水のごとく!

というか、それはまだあふれてないんだけど・・・

いまダム的な何かで堰き止めてるから

今からあふれて止まらなくなる何かがもうそこに見えるようだよ!!!

 

 

なんだけど・・・

本人的にはフリーでやっていくのは不安だという。

食っていけるんだろうか?お金、大丈夫なのかな。

自分のやりたいことで生きていけるのかな。と言い続ける。

 

 

毎度おなじみ、お金大丈夫かな?の壁が

ここにも高く立ちふさがっていたのだった・・・!

なんということだろう。

こんな壁に邪魔されて彼女が好きなことで生きていけない

そんなことがあっていいんだろうか?

(いや、よくない!というか、いやだ!)

 

 

そこで、見よう見まねの、

心にきくセッションぽいやつをやってみた。

 

その人本人の意識でわかってることなんてちっぽけなもんで、

実は、無意識のほうで膨大なことをわかってるからそっちの方へきくっていう戦法。

(そちらへアクセスするために「心よ」っていう呼びかけを使うと良いらしい)

参考:こころよカウンセラー原口実紅の個人セッション on Strikingly

 

 

やっぱバイトしないとダメかな〜><

・心よ、 Aちゃんはお金のためにバイトしないといけないですか?

→しないで大丈夫。やりたいことをやってOK。

 

やりたいことがたくさんありすぎて何から手をつけたらいいかわからない!

・心よ、Aちゃんはまず何をやったらいいですか?

→絵をかく。

 

・絵ってなんだろう? 心よ、何の絵ですか?

→人(Aちゃんがきいた回答)

→モデル(私がきいた回答) 

 

(ってことは、やっぱアレかな〜? 等など会話は続き・・・)

 

・心よ、それでも不安なんですけど!!><

→いいから、やれ〜!!!(笑) ←二人とも同じ回答だった(笑)

 

 

 

無意識ではめっちゃ自信ある!

でも意識では、超不安。いろいろ考えちゃう。

う〜んどうしよう? やったらいいのかな、でも不安だし・・・ 

この無限ループ。

 

この会話では「やれっていうんだからやってみようってことだよね!」

的なノリで終わったんだけど、私にとっての問題はここから。

 

 

帰り道、私は彼女のことをつい不安に思っちゃった。

やればできるって心は言ってるし、私ももちろんそう思ってるけど

本人があんなに不安がってて大丈夫かな?

自分自身を信じて、行動できるかな?

なにかと外からの影響が強いみたいで、心配だなあ・・・。

 

 

そこで気づいた。

これってリクがキラにしたことだ!

 

・・・いきなりわけわからんこと言い出してごめんなさい。

今この本読んでてね、でてくるんです、リクとキラっていうキャラクターが。

 

臆病な僕でも勇者になれた七つの教え

臆病な僕でも勇者になれた七つの教え

 

 

リクがキラのことを弱いと思うことが、

キラにとってのネガティブな現実を作り出すことの助けになってしまった

というエピソードがあって、それを思い出した。

 

お察しのとおり、思考の現実化の話で、

これは体感しないとわからない世界観だなとは思うんだけど・・・

成功したからその人が素晴らしいんじゃなく、

その人が素晴らしいから成功する。

その素晴らしさは成功から生み出されるものではなく、

その人が素晴らしいんだという信念から生み出される。

そういうイメージ。

自分は素晴らしいんだという信念が自分を素晴らしいものにする。

自分をたいしたことない、と思うとたいしたことない自分になる。

(私が思うに、これが自分だと思う部分が引き出されるんだと思う)

で、その信念に、その人本人だけじゃなくて周りの人間も加担できる。

(ポジティブ方向にも、ネガティブ方向にも、加担できてしまう!)

 

 

だから、私は彼女のことを強く信じることにした。

彼女から出てくる意識的な言葉ではなく

無意識にまだ隠れている本来の彼女のことを見ることにした。

 

 

Aちゃんは、今すでに力強く、良い方向へ向かっている。

Aちゃんには、お金の不安は全く無くなっている。

Aちゃんは、やりたいことをやりたいだけやっている。

Aちゃんは、その才能を発揮してそれはもうとどまるところを知らない。

Aちゃんは、絶対に大丈夫。

 

自分の信じる気持ちをフルで使って、そんな言葉を心の中で言い続けた。

 

 

 

そこで・・・

あら不思議。

 

今、Aちゃんのことを言っているのに

私自身のことなんてひとことも言ってないのに

まるで私が励まされているような感覚が入り込んだ。

 

私の心が喜んでいるようなあたたかい感じがする。

 

もしかして

「他人の心と自分の心はつながっている

無意識領域に人の区別は実はない」

そんな専門的な話を聞いてはいたが、これがそういうこと!?

 

 

私たちは普段目に見えるものを見ている。

目に見えない、その人の本質、可能性、意思、未来を見ようとしない。

 

あの人にも、この人にも、私にも、

目には見えないものがつまっている無意識領域というやつがある。

あの人の無意識領域を信じるということは

私の無意識領域を信じるよ、ということになる。

 

 

「彼女のそれがアリなら、私のこれもアリなんだ!」

そんな気持ちになってくる♪

 

人の心を信用することは

私の心と信用することと同じ

人の心に語りかけるのは

私の心に語りかけているのと同じ

 

これはもっとやりたいな〜。

みんなの本質、無意識領域のまだ目に見えない部分を信頼したい。

みんなの可能性をバンバン開いて、

ついでに(いやこれがメインかもしれない)

自分の可能性をバンバン開いていきたい。

や〜 ゲンキンだな(笑)

 

ともあれ「心よ」戦法をこんなに面白いと思ったのはこれが初めて。

記事にさせてくれたAちゃん、ありがとう〜!!

 

 

こんど8月に、この、この心よ戦法で会話していくカフェをやります。

自分の見えない無意識領域と話してみたい方!レッツ、話してみよ〜!

 

studio-pikake.hatenablog.com

 

 

帰りに駅で見つけた広告。思わず撮影。

 f:id:studio_pikake:20160727022401j:image

 

 

マハロ!