お金は悪者じゃない。本当の悪者は・・・
先日、「その存在」との対話(リベレーティング)で明らかになった、私のお金嫌いについて考えてみました。
「あなたにとって、お金は、ばいきんまんのような感じです。」 - しきたんの自由なブログ
「私はお金でできている」
先日、友達と昔話をしていたときにふと出た表現は我ながら面白かった。
両親にお金をたくさんかけて育ててもらった。たくさん塾に行き、中高私立、大学も私立。サラリーマン社長の父親に贈られる、たくさんのお中元、お歳暮。高級なフルーツ、肉、魚、などがいつもたくさん届いていて、家族旅行で泊まるホテルは最上級だった。
ああ私はお金で育っている。この体はお金でできている。
当時、言葉にこそならなかったけど、私はそう感じていたと思う。
私が本当に欲しかったのは、愛情だった。欲しかったのに、もらえなかったから、両親は与えてくれたのかもしれないけど私はそれをうまく受け取ることができなかったから、もう愛なんて要らない!と強烈に思った。結局お金が全てだ、といつの間にか信じるようになっていた。
そこから、私はお金を悪者扱いしだしたのだと思う。本当の悪者はお金じゃない。私が本当に嫌だったのは「この世界では、お金がないと生きていけないのだ」という刷り込みだったのだ。そしてその世界のことを、なんてケチなんだろう、なんて嫌な世界なんだろう、と思うようになった。
でも実際は・・・「お金がないと生きていけない世界」というのは私の思い込みであって、本当はこの世界はすでにお金がなくても生きていける。でも、そう思い込み続ける限り、そのお金がないと生きていけないという現実は続くのだ。
という、いばや通信の記事がある。
少女が生き残る道は無限にあった。誰かに助けを求めてもいいし、マッチ以外のものを売ってもいいし、近所の交番や各種NPO団体や民間企業に救いの手を求めたりすれば、寒空の下で死ぬことはなかった。しかし、幼い少女には「マッチをすべて売らなければ帰宅することができない」という親や教育の刷り込みが強烈に存在していたために、最終的に「刷り込みによって殺されてしまう」結果になった。
そう、お金が悪いんじゃない。「お金がないとどうしようもない。お金が全てだ。」という刷り込みが本当の犯人、黒幕なのだ。
では、どうしてそんな刷り込みを人は受け入れてしまうのか?私は、愛情不足・愛情飢餓がその刷り込みを引き起こす気がしている。本当は、愛があれば大丈夫。周りの人の愛を受け取り、自分も愛を送る。愛は循環する。それが多分真実だ。
でももし、その真実を信じられない状況に置かれたら?私に愛情をかけてくれる人はいない、愛なんてあてにならない、そう思ったら。お金が全てだと信じざるを得ないだろう。
私が本当に手放したかったのは「お金がないといきていけない」という刷り込みだった。
おすそ分け、という文化がある。友達だからタダであげるね、ということもある。
私もつい先日、みかんやホットケーキミックスやジャガイモをもらったばかりだ。
また、商店街の個人商店で、ちょっとオマケをつけてもらう、なんていうこともある。
これらは金銭的には無料だが、このやりとりには愛が働いている。この子にこれをあげたいと一人が思い、もう一人がその気持ちに応えた。上げたいと思った人、もらった人、それぞれ豊かになる。
しかし、この愛を受け取ることが面倒だと感じたら、あるいは誰かにあげる愛がない場合、こういった付き合いはできない。
一方、お金さえあればスーパーでなんでも買える。愛のやりとりは必要ない。ものすごく便利なツールだ。愛が面倒であればあるほど、愛を信じない人であればあるほど、お金は重要な存在になってくる。お金教に入信せざるを得なくなる。
愛がない時、あるいは愛を使えないとき、代替物としてお金を使う。お金は信頼を請け負っている。人間としては信用ならない人でも、お金の力で信用を作り出せるのだ。
『アミ 小さな宇宙人』(エンリケ・バリオス著)によると、(人類の)進歩度とは、センソ・メトロ(感覚計)によって図られる指数であって、それは「けだものに近いか“天使”に近いかの度合い」であるという。それは頭の脳と、胸の脳(ハート・愛)によって決まるものだという。
おそらく、私たちは愛のレベルが一定に達するとき、つまり人間がもっと進歩したら、お金を完全に手放せるのだと思う。それまでは、お金を愛と併用して使い続けることになる。というか、今もすでに併用して使っている。
生きていくのにエネルギーが100必要として、お金1:愛99もありだし、お金100:愛0もありえるのだと思う。また、本来そのようにきっちり分けられるものでもないのだと思う。
愛のレベルが100%になるまで、私たちはお金を使い続けるだろう。もしかすると、それには何百年、何千年単位の時間が必要なのかもしれないけど、きっとそんな時代も来るのだろう。
私は、早くお金を手放したい!!手放せる世界にいきたい!!と思っていたけど、今は、自分の愛のレベルに応じて、お金も愛も、両方うまく使っていきたい。私が本当に手放したかったのは「お金がないといきていけない」という刷り込みだったのだ。
本当は、私はお金があってもなくても、生きていける。
お金は私たちをいじめる悪者ではなく、単なる便利ツールなのだ。
マハロ!
- 作者: エンリケ・バリオス,さくらももこ,石原彰二
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2005/08/05
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*News
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日時 1/11(祝)13:00-15:30
料金 5,000円
定員 6名 ※残席4名
会場 magari(駒場東大前駅徒歩3分、渋谷駅徒歩15分)
アクセス http://cafe-magari.com/komaba/access
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日時 1/14(木)13:30-15:30
料金 3,000円
定員 6名 ※残席5名
場所 ラディアン ミーティングルーム1 (JR東海道線二宮駅 徒歩7分)
アクセス アクセス/二宮町ホームページ
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日時 1/18(月)13:00-15:30
料金 5,000円
定員 6名 ※残席5名
会場 magari(駒場東大前駅徒歩3分、渋谷駅徒歩15分)
アクセス http://cafe-magari.com/komaba/access
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リベレスタの自由なトークタイムの開催前後に同会場内で行います。
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日程 1/11(祝)2名様限定
時間 11:30-12:30 / 15:45-16:45
料金 30,000円
場所 magari(駒場東大前駅徒歩3分、渋谷駅徒歩15分)
アクセス http://cafe-magari.com/komaba/access
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日程 1/14(木)1名様限定
時間 15:45-16:45
料金 25,000円
場所 ラディアン ミーティングルーム1 (JR東海道線二宮駅 徒歩7分)
アクセス アクセス/二宮町ホームページ
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日程 1/18(月)2名様限定
時間 11:30-12:30 / 15:45-16:45
料金 30,000円
場所 magari(駒場東大前駅徒歩3分、渋谷駅徒歩15分)
アクセス http://cafe-magari.com/komaba/access
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しきたん / 原口色(Shiki Haraguchi)
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