しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

恐怖!私を引き摺り下ろしてくる両親との攻防戦

やっぱり親に正直に話してみよう。

 

先日「親に嘘をつきつづけるということ」という記事の中で以下のように締めくくったものの・・・

私は、自分の心に嘘をつかずに生きるためには、これからも親にはいくらでも嘘をつきつづけようと思う。

 

家(賃貸)を引っ越すにあたり親に保証人になってもらうべく、ほぼほぼ真実を話すことにしました。

 

参考記事:

studio-pikake.hatenablog.com

 

 

 

「あなたは無力、あなたは一人では何もできない」 

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今まで私は、実家住まいから脱出するためにトランクに荷物まとめて家出したり、親に内緒で引っ越したりを繰り返してまして。

 

というのも、私がちょっと思い切った行動を起こそうとすると、親には基本猛反対されるから。猛反対というか「あなたはまだ子どもで世間の厳しさをわかっていない。そんなあなたが私たちはとっても心配。世間の厳しさをわかっている私たちのいうことを聞いて、おとなしくしていなさいね。」という趣旨の、禁止、注意、指摘、アドバイス。

 

怒鳴られたり殴られたりなんていうことはないものの、私が何かをしたいというたびに、巧みに「あなたは無力、あなたは一人では何もできない」という、私にとっては人格否定的なメッセージを植えつけられてきた。この過程で相当なエネルギーが奪われてきたと思う。で、実際に、親の前では本当に無力で本当に一人では何もできない自分でいつづけていた。

 

「何を言ってるんだ!できないなんて嘘だ!!自分はやるんだ!」と自分を信じて行動するのはなかなか私はできなくて・・・

 

なので、親が反対する私がやりたいことをやるときは、嘘をつくか無断でやるしか方法がなくここまできたという状況。

 

 

 

しかし!今の私なら、話しても大丈夫だろう。私も相当強くなった気がする。猛反対されても懐柔されても親のコントロール下に飲み込まれない自信もあるし、何を言われても怒らない自信もある。

 

完全に理解されるなんてことはないだろうけど、自信をもって話せば「やってみなさい」と保証人になってくれるかも? 反対されたら保証会社を使えばいいだけ。最初からあきらめず、まずは話してみよう。そう思って話してみたのが今回のことだった。

 

 

 

 

やっぱりそう簡単にはいかなかった。

 

保証人になってくれるどころではなかった。

 

事業をやるならやるで、まずそれを軌道に載せてから次の事(引っ越し)をやるべきだ。いっきにどちらも着手するのはどうかしてるよ。地に足ついてなさすぎるよ。」


 「もっと現実を見なきゃだめだ。二宮じゃ商売成り立たないし、横浜まで出たって商売成り立たないよ。売上のシミュレーションとかした?全然成り立たないよ?(私たちの始めたばかりの対人サービス業は東京都の人口密集地区でないと客が十分に来ないという意味。二宮というのが引越し先で、ここは湘南の小さな町なのです)
 

 「今住んでるところも気に入って住んだんでしょ。荻窪はいいとこだよ。それで狭いっていったら贅沢なんじゃない?そこに住んでなさいよ。」

 

「そんなのうまくいきっこないから、最終的に、あなたが一番やりたくない、パートナーと別れてこの実家の1室に住むっていう最悪の結果になるんだよ。やめておきなさいよ。」

 

そんな具合で。

 

 

国民健康保険の生活になるのね!?」

会社に所属せず収入のアテがない、基本減っていくばかりであるということは本当に本当に恐ろしい、という話が始まる。起業はセンミツなんだという話(1000にいくつかしか成功しないこと)サラ金で苦しんで自殺した人の話、大量の借金で周りの人に迷惑をかけている知人の話がでてきたり・・・要するにものすごい恐怖を煽ってくる。

 

「この物件は高いよ。ものすごく高い。広いって言ったってさあ、こんなの狭いよ。」

「せっかくだからその物件情報、見てみようか」と見た結果、この返しである。そりゃパパとママが今まで借りたり買ってきた家よりは狭いよ!笑

広さは私たちが今住んでいる場所の2倍以上ある。私たちにとっては広い。今の湘南地域での物件は相当見てるけど、不動産会社で流通している中ではこの物件は安い。それをノー調査で、すぱっと否定して諦めさせようとしてくるのはある意味天才的。

 

 

結局親の話を聞くだけ聞いて、もう一度二人で考えて結論出すね、と言ってこの話し合いは終了したのだった・・・。

 

 

 

 

・・・親は私の鏡だった? と、気づく。

人は一人一人別の人間のように見えるけれども、実はこの人間たちは全て自分の鏡である、という考え方がある。(鏡の法則、とか、フラクタル心理学、とか、ワンネスとか、いろいろな場面で語られています。)

例:会社のあの人がわがままばっかりしてるな〜。と思ったら、それは自分のわがままばっかり(わがまましたい)部分をその人に投影して見ているということ。

 

 

 

保証人はNGだったので、保証会社にして申込書を出すだけのはずが・・・

なぜかここに来て決断できない。

 

親のいうことに説得させられた、というより、実は、私は親の言うことに「ほんと、そうだよね。まさに、私もそう思うよ。」と思っていた。パパがさんざん私に説得してきたのは、全部私が本心では思っていたことだった。

 

 

オフィス探しと引越しをいっきに(しかも違う場所で)やるのはどうかしてる。初期費用をこんなに今払うのはどうかしてる・・・私はまだ東京にいたい。今引っ越したくない・・・

 

 

本当は私の中に恐れの気持ちが大量にあって、でも、この引越し(プチ移住)を楽しみにしているパートナーと話をしている手前、押し殺していた。その気持ちが親の口を借りて、ものすごい出てきたのかもしれない。

  

 

うちの親はリスク回避型で防御ばっかり。やらない理由を作ってばっかり。その親像はつまり、防御ばっかりでなにもやれない私自身のことだったのかもしれない。

 

そんな自分を縛り続ける自分から、もう脱皮したい。してやる! 

 

そう思い、「やっぱり、いろいろ考えた結果、最初言ったとおり、引っ越すよ。」と電話した。

 

 

 

最後の攻防戦がはじまった。

親との攻防戦のようで、おそらく、実は、私自身との攻防戦である。

 

 

 

 

パパ「 絶対にうまく行かない方向へ飛び出していく娘を見ているのは、自殺幇助罪のような気持ちだよ。まるで特攻隊じゃない。もうやけになって、お金が無くなったら二人で心中でもしようとしてるんじゃないの?」

 

しき「心中なんて絶対しないよ。全然、考えてもないよ、そんなこと。」


 パパ「もしかして宗教がらみなの?そうでもなきゃそんな選択あり得ない。今までの引越しも急で、それも宗教とかだったんじゃないの?」
 

しき「宗教じゃないよ。なにも関係ない。(今までの引越しが急だったのはうかつに親に言ったら引っ越せなくなるからだよ〜)」

 

パパ「人間、どんな人でもお金がなくなるとどうなるかわからないよ。人をだますかもしれないし、借金で自殺しかねないし、そんな状態で車なんて運転しようものなら人も轢きかねない。犯罪者一歩手前だよ。」
 

しき「借金は絶対にしないし、車は買うけど私は基本運転しないから人は轢かないよ!(運転担当はパートナーなので)」 

 

 

これ、非常にシリアスな会話だったんだけど、ここまで悲観的だとむしろファニーな雰囲気が醸し出されてますね。青字部分・・・笑

 

このパパの思考回路だと、私は犯罪者一歩手前の特攻隊の怪しい宗教に入信しちゃったかもしれない心中予定の自殺予備軍でマジで頭おかしいやつ、ということになるんだよね。さすがに、さすがに、それは違うよね。

 

でもパパが私にこんなに言うということは、私が私自身に対してそのように思っている部分がわずかなりともあるということ。でも、そんな風に、もう思いたくない。その悲観的すぎる、人間を地面に引き摺り下ろす思考回路はもう終わり。

引き寄せの法則的に考えると、これってほんとに恐ろしいわ〜・・・)

 

私自身の思考回路をしっかり逆に回そう。パパに対しては、ひたすら、そんなことはないよ、を繰り返し、もし仮にうまくいかなくなっても借金自殺するまえに就職でもアルバイトでもするから、という話をして終了させた。

 

 

 

その後、ママに交代。

次から次へと尽きない心配ごとをぶつけてくる。メインはお金はどうするの?である。

 

 

そうだね、そうだね、ママはそう考えているんだね。でも私はそう思わない。分かり合えないのは悲しいことで、残念だなと思ってるけど、これはもう仕方ない。親の言うこと聞けない子でごめんね。 

たとえば、大学中退して売れないミュージシャンになったり、会社辞めてお笑い芸人の道に入ったりする、好き勝手やってる人いるよね? 私はそういう人になっちゃったんだよ。ママには残念なことだと思うけど、そういうことなんだよ。

もう一度対面で話したい? すでに対面で散々話したよね? それ以上の話はないよ。これ以上話しあっても変わらないんだよ。

ママやパパを嫌いなわけじゃないよ。反発してるわけでもない。どんな意見も聞くけど、その意見になんでも従うことはできないよ。それでもやるのって?うん、それでもやるよ。考えた末の結論なんだよ。

 

 

 ママ「・・・・そういうことなのね。考えてること、どこかで手紙でも送って頂戴」

 

 

 

電話終わり。この電話から1週間ほど経つけど、もう追ってこない。これで今回の件は小休止。 

両親はぜんぜん納得していないけど、私は両親の常識内では生きられない。また、両親が私の生き方をみて、そういうのもありかもしれないと考え直すこともないようだ。それならば、もう違う世界に住んでる同士として、棲み分けるしかないかもしれない。パパの「現実的」なところは私の鏡。でも、もうその「現実的な」私は私にとって必要ない。

 

しばらくたったらママに絵葉書でも送ろう。それなら親のペースで追撃されることはない。(私も両親が嫌いなわけでも絶縁したいわけでもない。ただ、引き摺り下ろさないでほしい!と思っているだけなのだ。)で、もしまた親に引き摺り降ろされそうになったら全力で逃げよう。

 

 

 

 

心が軽くなっていくと、重いエネルギーが引き摺り下ろしてくる。そのエネルギーには負けられない。

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あれやってみたい、これやってみたい、あ、やってみよう・・・!ふわふわ〜 と浮かんでいくと、そうはさせるか!と「地に足をつけさせる」重いエネルギーがやってくる。私の場合、両親がその「地に足をつけさせる」役割として機能しているようだ。

 

一般的に、「地に足をつける」とか「現実的に考える」とか、当たり前に良いこととして語られるけど、私はそうは思わない。「現実」とは見えない檻のようなものだ。地に足つけて現実的に考えて行動してたら、檻の外にはぜったいに行けない。

 

「現実的」な誰かが必死で止めてくる。それでもやりたい。そんな行動こそ、本当にすべきことだと思う。その人の猛反対でその行動を辞めてしまう、というのは、みすみす罠にかかるようなものだ。

 

 

なんのために生まれてきたのか? 

やりたいことを、やるために生まれてきたのだ。

足に重りをつけられて、狭い檻の中でうろうろしている場合じゃないのだ。

ふわふわ飛んでいって、もっともっと、「現実」よりもずっと広い世界を見るのだ。

 

 

 

 

マハロ~!

 

 

 

 

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