しきたんの自由なブログ

思うことや感じることを、けっこう自由に書いてるブログ。

周りにどんなに迷惑をかけても、私は自分のために会社を辞める。(3社目、ITベンチャー退職録/後編)

  3社目、約3年間本当に恵まれた会社員生活だった。

 

 

f:id:studio_pikake:20150521184359j:plain

 

「(辞めたくないけど)もう私は限界で、辞めるしかないんです」と混乱状態で上司に泣きついたときも、辞めないで働いてくれと言ってくれた。限界にならないように働かせてくれた。(参考記事:もう、会社を辞めるしかない。(3社目、ITベンチャー退職録/前編)

 

私はLGBT社員で同性パートナーがいて、それを特に隠さなかったけど(とはいえ大々的に発表した訳でもないので知ってる人と知らない人といたと思うけど)差別されるなんていうことは全くなく、私のみならず彼女のことまで気にかけてくれる優しい人もいて。

 

人間関係の軋轢とかも、少なくとも私の周りは全然なかった。仕事内容も私の能力の中では適性のあるものをやれていて、つまらなくもないしきつすぎて死にそうになることもないという、まさにちょうどよい業務を担当させてもらっていた。

 

1社目も2社目も働き続けられなくて辞めたのだが、3社目の退職時は勤めようと思えば勤められる状態だった。なんていうか、まだまだ頑張れるよ〜っていう感じだった。

 

 

私は私のために、絶対に退職する!という決意

表向きの退職理由は「自分がやりたいことで、新しいチャレンジをしてみたいから」。本音は「自分がやりたいことを知るために、やりたくないことは一切やらないことにしたから。会社には行きたくて行っているわけではないと分かったから」。

 

そう、退職願を出した時点では次になにをやるのかはっきり決めていなかった。28歳の私は、まるで大学を休学して世界一周自分探しに行ってきます、という人とほとんど同じ雰囲気を醸し出していたのでは、と思う。

 

本音と建前、みたいに分けて書いてはみたけど、私はかなり本音ベースで正直に上司に伝えた。業務の都合上もう少し後に辞められないかということはさすがに求められた。ただ、その他の退職理由や私の気持ちについては、本当に寛大に受け入れてもらい、上司部下の関係というよりも同時代を生きている仲間として話をしてくれたように感じた。

 

そこまで良くしてくれた会社のみなさんにまだ全然恩返しできていないのに突然辞めるとは、なんという自己中な社員なんだろう。と自分で思う気持ちもあったけど、もうどんなに誰に嫌われても、自分のためにこれだけはやり遂げなければという決意で会社を思い切って辞めた。

 

 

『「好きなこと」だけして生きていく。』

上記の見出しは心屋仁之助さんの本のタイトル。(このブログで彼の登場は3回目くらい?でくどいけど、私に強く影響を与えているので仕方ない。アフィリエイトプログラム的なものはやってません。笑)ここから私の決意は始まった。

 

ある日パートナーがこの本を本屋で買ってきて、読み、彼女は真剣に彼女自身と対話をし、時に苦しみ、もがいて、泣いて、結果として彼女の中でパラダイムシフトが起こり、会社を辞めた。彼女はもう我慢することはせず、好きなことだけする、という人になった。

 

その姿に私は影響されて、私も同じ本を読んでみた。しかし彼女のような変化は起こらず、「たしかに、うーんたしかに、そうなのかもね〜!」という感じだった。たとえばこんなことが書いてあった。(目次より抜粋)

 

・あなたは頑張っても報われない

・頑張らなくても価値がある、と信じよう

・ハードルは越えるものではなく、そもそも必要ない

・好きなことをしていると、なぜかお金が入ってくる

・「かわいそうな私」でいることがあなたの好きなこと

・未来の心配のために、今を犠牲にするな

 

 

優しい言葉で書いてあるけどかなりのパンチがきいていて、この本で書いてあることをそもまま飲み込むのは相当難しい。正直、ぶっ飛んでる。とてもじゃないけど飲み込めなかった。これを受け入れたら、今までの自分を否定するような内容なのだ。私だけじゃないと思う、普通に働いてる人のほとんどはそう思うんじゃないだろうか。「うん、そうかもね。とはいえ・・・」と言いたくなるんじゃないだろうか。

 

「頑張らなくても価値がある」ってつまり何も努力しなくてもみんなが支えてくれるってこと。なるほど、とはいえ・・・少しは自分で努力しなくちゃだめなんじゃない?

→努力は完全に必要ないらしいんだよ。寝てても良い、みたいな調子で。

 

「好きなことをしていると、なぜかお金が入ってくる」というのも好きなことやってた方が良さそう、って言うのは分かるけど。とはいえ・・・マネタイズの努力は必要じゃない?

→これも必要ないらしいんだよ。好きなことをやるだけ、でいいらしい。

 

(というわけで、これを自力で消化した彼女はけっこうすごい。それこそ、彼女にとってはこの本の消化やりたくて仕方ない、というかどうしてもやらなければならないというような、鬼気迫った状態で没頭していました。)

 

 

 

「好きなことがないという人のために」

そもそも、私には「好きなこと」がとくになかった。ぼちぼち楽しく働いて、土日は彼女や友達と楽しく過ごしたりして、好きなことができたら、好きなことをやって、会社を辞めた方がよくなったりしたら、辞めよう。それまでしっかり働いて自分の能力も開発しよ〜♪と思っている状態だった。

 

この本の最終章は「好きなことがないという人のために」だった。 

この章が私に一番効いた。(この時点では、この章しか効かなかった)

  

要するに、私は好きなことがあったのに、それを一度も一生懸命追わずにきたために、好きなことがない状態になっているということなのだ。この状態で好きなことを探しても、もう埋もれてしまっていて、どこを探してももはや見つからないのだ。

 

 

指摘されないような生き方

以前、在職時にカウンセリングを受けたときに私は「指摘されないように生きている。」と答えたことがある。

 

「指摘されないような生き方」とは、恐ろしい生き方だ。これは、自分がやりたいことではなく、他者に肯定されるようなことを選択するということを意味している。そもそもは幼少期の親子関係からそういった行動がスタートしたんだと思うけど、幼少期から20代後半までずっと私はそうやってきたということだ。反抗期でもうまく反抗できず、そのまま育ってきた。

 

 指摘されない(他者に良いと思われる)ことを選ぶことが日常化すると、不思議なことに、他者に良いと思われる行動を私が好きで選んでいると思い込むようになる。自分の価値基準を地下に埋めて、他人の価値基準を自分のものとして採用している状態だ。他人の価値基準とは、人の顔色とか、社会とか、世間体とか呼ばれたりもする。本当は自分の感覚じゃないものを、自分の感覚だと思い込むことは本当に恐ろしい。

 

極端な言い方をすると、自分の感覚や価値観を殺す生き方だった。

これこそ私流の生き方だったわけで、これが悪いわけじゃない。むしろ今までそうやって生き延びさせてくれた昔の私に感謝している。でも、もうそのやり方は終わり。私は私自身の感覚で、私の人生を生きたいと思うようになっていた。

 

(参考記事:もっと認められる場所に行きたい。(1社目、大手転職エージェント退職録) 

 

 

好きなこと、とはたいしたことじゃなくていいらしい。頼まれなくてもやることならなんでも「好きなこと」。

たとえば、平日も休日もトイレは行きたいから行っているし、休日には食べたいものを料理して食べたりしている。本当にやりたいことだけやって良いよ〜と言われたら、寝て、トイレ行って、料理作って、パートナーと話をして、映画を見て・・・頼まれなくてもやることっていったら、それくらいしか行動が残らない。

 

やりたいことが見えなくなっている人は、やりたくないことをやめると良いらしい。たしかにそうなのだろうと思った。私は他人の価値基準での行動を少しでもなくして、自分のリアルな感覚を取り戻したい。そして、好きなことだけして生きていく、みたいなフェーズの入り口に立ってみたい。

 

会社は嫌いじゃないけど、もし行かなくてもいいのなら、行かないなと思った。満員電車に乗るのも嫌だ。だから、何はともあれまずは会社を辞めるということをしようと思った。

 

 

 

自分自身の希望を押し通す

退職願をだしたとき、退職時期を少し遅らせて最後にこの全社的プロジェクトをやってみない?と上司に言われ、ぜひやりたい!と思った。せっかくなら成果を残したい。

 

しかし・・・ちょっと待て。本当にやりたい?それって頼まれなくてもやりたいこと?自問してみると、答えは、YESなようなNOなような・・・。

YESな理由=せっかくなら気持ちよく辞めたい。上司や会社の役に立ちたい。みんなに好かれたい。やらないと気まずい。

NOな理由=もしやらなくていいのならやりたくない。

これは、私の本当の気持ちはNOだ。。どう考えてもNOだ。。残念ながら私はこのプロジェクトをやりたいのではなくて、また、人にどう見られるかを気にしていただけだった。

 

そういうわけで、退職時期は私の希望を押し通した。

最終出社日を私の誕生日にしたくて、それで通した。

「自分の希望を他の人の要望をさえぎって押し通す」なんていう経験は、もしかすると人生初だったかもしれない。初めてすぎてドキドキしたけど、私の希望がそのまま受理された。きっと私の希望は上司やまわりのメンバーには負担を押し付けたと思う。しかし、完本当に自分が自分の意思で行動したいとき、周りの人の味方になることなく、自分が希望することをはっきり言うことがあってもいいのだと知った。

 

 

引き継ぎもしなかった

なんと、私は業務の引き継ぎもほとんどしなかった。

退職願を出してしばらくした時期から最終出社日まで、会社を長く休んでいた。休んだ理由は、この記事に書いているような諸々の自己探索の迷宮をうろうろしていたからだ。自分の意思を殺せば会社に出社したり業務できたと思う。でも今回ばかりは意地でもそれをしたくなかったので、しなかった。

 

そんな日々、最初は罪悪感でいっぱいだった。私の業務を代わりにやっている人が、深夜にメールやり取りをしている。(MLが回ってくるので見ようと思えば見れる)きっと私がいないから業務量がパンクしているのだ。質問のメールも来ていたが、私はいま休んでいるのだと強く思って、そのメールもスルーした。そのメールに答えるのくらいすぐできたけど、できることとやりたいということは違うのだ、と自分をしつけ直すためにスルーした。

 

罪悪感なんて持ってない!と思っても、やっぱり罪悪感があった。自分のやりたくないことをせずに、自分のやりたいことをすることは大きな罪悪感があった。だって社員で雇われている立場なのに、体力としては行けるのに、行かないというのは、辛い。

 

他人の価値基準をぶちこわすためとはいっても、それはすでに私の中に内在化されているものだ。他人に合わせた行動こそ、私そのものだった。それを壊すというのは今までの自分を壊すことと等しかった。

 

 

引き継ぎくらいはしてね、と言われていた。私も引き継ぎくらいはしたかった。当たり前だよね、引き継ぎくらいはしたいよ。。でも、、頼まれなくてもやりたいの?引き継ぎ要らないよ、っていわれてもやりたい? そう考えるとNOだった。「引き継ぎしたい私」は本当は私じゃないのだ。それは他人の希望を内在化させたハリボテの私なのだ。

 

もし、私が後任の立場だったらと考えた。引き継ぎが無くてもその業務はできる、と思った。私は自分の経験としてはまともな引き継ぎを受けたことって無かった。周りに人に聞きながら業務を成立させてきた。今回の私の業務は同じことをやっている人もいたので、そもそも引き継ぎが無くても成り立つと言えば成り立つ。

 

私だけが持っている知見だけは残していこうと思い、それだけは文書化して社内に残してきた。本当に本当に最低限の仕事だけした。

 

今までの自分から見ると、信じられない行動だった。

「嫌われる勇気」というアドラー本のタイトルにもあるとおり、まさに勇気が必要だった。勇気をもって人に迷惑をかけるということは、私にとってものすごく必要なことだった。

 

 

最終出社日は自分の荷物を回収し最後の手続きをするため、のこのこと出社した。 みんな(私が会社に来れない人だと思っていたので)驚いていたように見えた。会社のみなさんには説明不足なまま辞めることになってしまったけど、この私のわがままを達成させてくれたことに、本当に感謝をしています。あのときみなさんに支えていただいたおかげで、私は自分をよみがえらせることができました。大げさな言い方だけど、これは真実だと思う。

 

 

 自分のリアルな感覚が回復していく

実際、私の感覚は徐々に回復してきた。

前述した通りやりたいことが特にない私は、寝たり食べたり話したり、ということだけする毎日を送っていたある日、貴和製作所というアクセサリーパーツ屋さんに立ち寄った。 天然石、チェコビーズ、スワロフスキー、羽、いろんなチェーン、と様々なパーツがあって、私にとって、天国のような場所だった。

 

そのお店にいることが理由なく、とにかく楽しく、やりたいことは何でもやろうと言うことにしていた私はそのパーツを何万円分も買った。身の回りの人に、その人のイメージに合うアクセサリーを作りまくってプレゼントした。 あまりに楽しくて半分徹夜状態でやっていた。これが努力じゃなくて夢中っていうやつか。と分かってきた。私はリハビリのように、好きなだけ天然石パーツをいじって製作をした。

 

f:id:studio_pikake:20150521183512j:plain

 f:id:studio_pikake:20150521183536j:plain

f:id:studio_pikake:20150521183604j:plain

私は幼少期からとにかく石が好きな子で、放っておいても石を集めたり、磨いたりしていたのだ。石をなんとかネックレスにしようとして、工夫して紐を通したりしていた。そのときの気持ち、感覚が唐突によみがえってきた。どこかに隠れていた私が、私のところに戻ってきた。

 

私に好きなこと、やりたいことなんてあるのだろうか。と半信半疑だったのだが、やりたくないことをやめて、リラックスしてすごしていたら、本当にあった。その後は、石以外のことでも、私自身の感覚で感じたり、だんだんと私の意思の在処が分かるようになってきた。

 

ブログで文章を書くというのもその一つ。会社を辞めてから、何となく過ごしながら、あるイベントがきっかけで、私もブログ久しぶりに書こう!と思い立ち、書いた文章が結構読まれたり。私は高校時代文芸同好会で文章書くのは結構好きで、小説家になりたいと思っていたこともあったくらいだった。当時、私はまだ経験不足で書けること何も無い、という理由で書くのを中止したんだけど、今となっては書きたいことが山ほどある。私は書くことがかなり好きみたいで、楽しい。頼まれてもいないのにこうして書いている。

 

 

 

自分をよみがえらせたい。これが私が会社を辞めた理由。おかげさまで達成できたので、これからは自分自身の感覚、意思で、生きて社会にも関わっていきたいと思います。

 

これまで殺していた部分を使っていくわけで、不慣れなことも多くあると思います。

これから好きなことだけして、自分史上もっともバリューを出していくだろうなと予期していますので(笑)どうぞ宜しくお願いします。

 

  

 マハロ!

 

 

 

 

  

・関連記事

 

 

 〜あとがき〜

 

こんにちは。しきたんです。

大学卒業後、3つの組織に勤めて辞めて、今は駆け出しの個人事業主。 

(2016年現在30歳。辞めたのは1年ちょっと前です。)

今となってみれば、ああ会社辞めてよかったな、と思うし、

あの頃と比較すると自分にも他人にも相当優しくなれて

生きやすくなった気がします。 

 

 

この記事では私が3社目を退職した時のお話を書いたのですが、最近、「会社」「辞める」「退職」「迷惑」などの検索キーワードでこの記事にたどり着く方が増えているようです。

 

 

結論を先に言います。

 

もし、自分の人生を生きたいなら「辞めるべき」。

 

他人の人生のままでよければ、辞めても辞めなくてもいいと思います。

 

他人の人生のまま、というのはこういうことです。

 

今辞めたら周りの迷惑。このプロジェクトが終わって後任が育たないと辞められない。

入社したばかりなのに、会社に申し訳ないから辞められない。

業績上げられていなくて、全然恩返しできてないのに辞めるなんて言えない。

家族に迷惑かけることが嫌だから、会社もほんとは嫌だけど辞められない。

 

他の誰でもない自分自身が楽しく、気持ち良く生きる、ということよりも、

何か別のものを優先してますよね?

 

同僚、先輩、上司、会社、家族、評判、常識、キャリア、お金etc...

 

どれも「自分」じゃないですよね?

 

何かに迷惑かけるんだけど会社を辞める、というのは、

会社を辞めるということと同時に、

他人の人生を辞める、ということなんです。

いつまでも誰かを優先する人生を辞める、ということなんです。

 

それって・・・

自分勝手ですよね。

常識外れですよね。

バカでアホですよね。

 

でも、それが本来の自分自身なんです。

 

そう言われればそんな気も、してきませんか?笑

 

 

この衝動に従っちゃう???

 

いつ他人の人生を辞めて、自分の人生を始めても自由です。

今はもうちょっと我慢して辞めないことも可能です。

ただ、今「辞めたい(かも)」と思っているということは

おそらく、一つの我慢の限界がきている、ということではないでしょうか。

 

私自身は、1〜3社ともに、もう続けるのが嫌になっちゃって辞めた人で、

いわゆるうつ病になるなど働けなくなるまでいたわけではありません。

(1社目は自律神経失調症の診断はおりましたが、業務が嫌すぎて、自律神経失調症をなかば装ってゲットした診断です。軽い目眩みたいなものはあったので完全に装った訳でもないかもしれませんが、まあ、そんなかんじです。)

 

でも、それでよかったなと思ってます。

 

倒れるまで、

大病になるまで、

家族が死ぬまで、

あるいは自分が死ぬまで、

ずっと我慢して他人を優先し続けることはできます。

 

が、いつ我慢を辞めて自分の人生を始めても人の自由です。

極端な言い方になりますが、

余命宣告されてから自分の人生始めるのって遅いのではないでしょうか?

 

 

あなたの退職は、実は誰にとっても迷惑なんかじゃない

 

成績でなくて辛い営業マンが辞めてくれたら、今後の会社の損失が防げます。

その業務に向いていない新卒1年目がすぐに辞めてくれたら、もっと向いてる社員を早期に採用できるチャンスです。

結婚や子育てで会社を辞めてくれたら、ワークライフバランスを会社で取り組むきっかけになったりします。

 

要するに会社から1人抜けるということは、実は単なる変化であって迷惑じゃないのです。あるべき姿に変わっていっている、というだけのことです。

 

 

自分がやりたいように動くと、

自分勝手だとかなんだとか外野が言ってくるのは、迷惑というよりは・・・

みんなやりたいようにできない自分自身を恨んでるからです。

 

あなたも覚えはありませんか?

(私はあります。。。)

会社の同僚が突然自分勝手な理由で辞めて、ムカついたこと。

仕事をほっぽりだしていきなり休みだす人に、憤慨したこと。

 

そのいやな気持ちは、自分の業務量が増えるから?

それとも、一人だけ自由に羽ばたいてずるいって思ったから?

 

そうなんです。

その嫌な気持ちは、その人の自由さへのジェラシーです。

 

・・・本当に??

と思った方は想像してみてください。 

 

もし、自分が何一つストレスなく、好きなように暮らしていたとします。

好きな場所で、好きなだけお金はあって、仕事や遊びや子育てなど、

好きなことを好きなだけできていたとしたら・・・

 

誰かが自分勝手な理由で何かを放り出したとして、

それにムカついたりしますか? 

 

「あ、辞めたんだね〜。」で、終わりじゃないですか?

てことは・・・みんなが嫌なことは我慢せずに辞めて、

自分の人生を生きれれば、恨みつらみは出なくなる。

それでオールオッケーではないでしょうか?

 

 

今、そんなことを考えながら、自分の体験を生かして、

好きなことをやる人をもっと増やそう!それこそが世界平和の道だ!

という活動をしています。

大げさだけど・・・いやいや大げさじゃなくてほんとにそう思うのです。

リベレスタ公式サイト

 

人に迷惑かけて(ほんとは迷惑じゃないんだけどね)

自分中心に、楽しくハッピーに生きていっていいんです。

むしろそれこそが周りのためにもなるんです。

私もまだまだ道半ばで、人への迷惑を考えちゃうこともしばしばありますが

自分に向き合えば、向き合っただけ、

少しずつ自由な扉は開かれていくなあって実感しています。

 

どんな話題もOKなプライベートセッションも受付けています。

好きなだけお話いただき、そのご相談の本質(根源・本当の原因)を一緒に追求し、

今日からできる行動をご提案しています。

葛藤や悩み、モヤモヤは人生を変える扉のようなものです。

扉を開くのが怖い方は、一緒に開くこともできます。 

気になる方はお気軽にメールください〜^^

 

 

しきたん / 原口色(Shiki Haraguchi)

Facebookhttps://www.facebook.com/shiki.haraguchi
Twitterhttps://twitter.com/00shiki00
mail :00shikitan00@gmail.com
Schedule :https://goo.gl/HJWjH7